備忘ログ

メモ以上日記未満

今さらだけどモバマスのキャラって濃い

先日はてぶで

yaminomabot.hatenadiary.jp

が上がってたので読んだんだけど、この人キャラクターの特徴掴みすぎてて凄い。それも文香ちゃんだけじゃなくて、幸子とか飛鳥とか蘭子も書いているし。

しかも地の文だし。会話っていうのは結構楽にキャラクターの特徴を出せるのでそんなに苦労しないのだけど、全編地の文でキャラクターに語らせるとなるとごまかしがきかないので、自分の中でキャラクターががっちり掴めていないと書けないものであって。これって言うは易しだけど、実際はそのキャラのテキストとか全部読んで消化して自分の中でキャラクター像を完成させるというのが必要になるので結構めんどい。めんどいというか、自分本来の性質とそのキャラの性質があまりにかけ離れているとキャラクター像を作ることが出来ないような気がする。モバマスでいうと、例えば俺は良い年して中二病なんで飛鳥とか蘭子とかその辺は親和性高いし(どっちかというと飛鳥系)周子とか森久保あたりも性格とか行動原理が理解できるのでガチれば結構書ける自信があるのだが(実際たまにSS書いてるし)、例えばギャル系の姉ヶ崎だったり大槻唯ちゃんだったりは書ける気しないし、きらりとかも意味分からなすぎて無理。この辺は自分と性質が違いすぎるので自分の中でキャラクター像を作り上げるのが困難なのである。

翻って冒頭のグリモワールの人は、蘭子とか飛鳥とか文香ちゃんとかを書いているので本来はそういうクール系の性質の人なんだな、というのが予測できるものの、幸子とか姉ヶ崎とかウサミンでも書いているので凄い。この辺のキャラの振れ幅というのはそのまま書き手の人間性の振れ幅を表していると俺は思っているので、この作者の人は多様な価値観を内包している人物なのだろうな、と勝手に推測した。なにより姉ヶ崎であれだけ地の文書けるってすげえだろ。将棋の観戦記縛りとかますます難度たけえよ。

 

とまあ、以前の記事でも触れたように俺は人間にはそうでもないくせに文体には惚れっぽいところがあるので、つまりこの人の文章もとても好きになってしまったのであった。

 

あと、最近ようやくカクヨムに手を出し始めたら思いのほか面白げな作品が多かったので、しばらくは暇つぶしできそうだ。オススメの作品とかそのうちまとめて記事にしてみようかな。

本屋に行かなくなって久しい

とはいえ半年くらい行ってないだけなのだが。でもこれまでは週2くらいの頻度で本屋に寄っていた事を考えると、やはり久しいという単語が適しているような気がする。

さて理由はというとこれは完全に電子書籍のせい。せいというかおかげというか。電子書籍って超便利なのだ。何が素晴らしいって、家の中でごろごろしながら本を購入できるというのが良い。昔は「この本良いな」→「本屋行く」→「読む」の3ステップだったのが「この本良いな」→「読む」の2ステップになって超便利。21世紀って凄い。おかげで仕事でヘトヘトの平日でも以前と比べて読書量が増えてる気がしてならない。

電子書籍というと毛嫌いしてしてしまう人もいるとは思うのだが、個人的には非常に重宝している。電子書籍の良いところその1、購入した本をまるっと端末の中に納められるというのが素晴らしい。これってすなわち、本棚をスペアポケットに入れているようなモノで。ようするにタブレットだけ持って外出すれば数百冊(もうそれくらいは買った)持ち運んでいるのと同じなので、出先でも様々な本が読める。銀河英雄伝説なんかは好きすぎて何周もしているので、先日新たに電子書籍版で全冊そろえた次第。

そんで良いところその2、本がかさばらない。俺は部屋掃除が苦手なので室内には結構本が積み重ねられていて、神原駿河の部屋みたいになっている……いやBLは置いてないけどな。誇張ではなくあれくらい積み重ねられているので、単純に汚いし、読みたい本が読みたい時になかなか見つからない。その点電子書籍ならデータなのでまったくかさばらないのだ。部屋も汚くならないし、読みたい時はすぐに見つかるし、めっちゃ便利。

良いところその3、安い。これ結構侮れない。Kindleセールとか時々やってるけど、80%オフとか平気でやる。とくに漫画とかラノベは全巻まとめてたたき売りとかしているからかなりお得。円環少女とかDクラッカーズは全巻まとめて買いました。円環少女は全13巻を500円くらいで買った気がする。良いのか?昨今の出版業界の不況っぷりと作家さんたちの経済事情を考えるとこんなに安く買いたたいてしまっていいのかとも思うけれど、でもやっぱりすげー嬉しい。こういうセールが時々あって、その度今まで自分が読まなかったような分野に手を出せるっていうのも電子書籍の良いところなのかも(あ、これその4ね)。

 

そんでまあ、電子書籍が万能かっていうとそうでもない。自主出版を除けばある一定以上の売り上げが想定される本しか電子化されない訳で、コアな本を読もうとしたらまだまだ紙の本しか選べないというのが現状。それに本屋というのはふらっと寄って色々な本を見繕えるけれど、電子書籍というのはそもそも自分が興味を持っている本を購入するので、予想外の出逢いって奴があまりない。それに、紙の本っていうのはなんだかんだ風情があってをかし。放課後の図書室でひとり本を読む文学少女は素晴らしい(電子書籍に興じる今風文学JKもこれはこれでアリ)。

 

まあアレだ。紙の本も電子書籍もどっちにも別の良さがあるのだ。

どちらかに傾倒するのではなくて、多様性を重んじられるというのが大事だと思うのだ。

絵が上手い人って最初から上手かったの?

 それとも子供の頃から書いてるうちにだんだん上手くなったの?個人的には自分の絵描きの才能が壊滅的(所謂画伯)ということもあり、量をこなせば上手くなるものだとは考えられないのだが。絵が上手い奴って小学校の頃から上手かったイメージ。でも漫画家のルーツとか見てると、最初は下手くそでも数をこなせばある程度上手くなれるのかもしれないとも思う。最近のルーツの描く女の子はフツウに可愛くて困る。

いやあしかし、絵が描けるというのは非常に羨ましい。例えば小説とか作るときに最初にプロットを作り上げるのだが、その際キャラクターの設定を詰める時に立ち絵があるとすっげえ便利だよなって思ったことが沢山ある。やっぱり視覚を利用するイメージって強い。例えば文章で

 

・朔波来珂(さくなみ らいか)
年下の生意気な少女。黒髪に稲妻色のメッシュ。黄色と黒がイメージ。今風のパーカーにデニムのショートバンツといった出で立ち。
優位属性は雷
背中に背負った長剣を使い、相手の行動を電撃で奪う。電撃使いにも関わらず放出系が苦手な接近型。
S後輩キャラ
「何スか、先輩。あたし今忙しいッス」
「先輩って、やっぱ変態さんなんスねえ~」
「……まあ、先輩となら、嫌じゃないッスけど」
「はあああああ!? こっこれは只のお返しっスからッ!! 勘違いするんじゃないっスよ!!」

 

って書くよりも、立ち絵一枚書けばイメージがすごく伝わりやすいと思うのだ。

……え? 上のクソみたいな中二設定は何だって? 俺が今練ってるプロットの登場人物だけどなんか文句あります?(逆ギレ)

まああれよね、中二病もある一定以上のレベルになると他者からの視線とか黒歴史とかそういうのどうでもよくなるよね、感情を失うよね。学生時代思い返して「うああああああああああああああ!!!!!」とかなる奴は圧倒的に暗い経験が足りない。ガソリンの味とか知らんだろ?

てかアレよね、設定とかいいつつ服装についての言及が今風のパーカーにデニムのショートバンツといった出で立ちとか駄目よね。今風のパーカーって何だよ、お前そもそも視覚的にキャラクターセッティング出来てねえじゃねえかと。ちなみに個人的には絹旗最愛ちゃんみたいな服装イメージしてましたが。

 

絵だ、絵の話に戻そう。俺の蒼さはこの際どうでもいい。

「文」と「絵」あるいは「小説」と「漫画」ってのは比較されがちなものではあるが、やはりどうしたって文より絵、小説より漫画のほうが専門的スキルが必要なように感じる。や、色々と文章を読み散らかしてる俺からすると、文というのはともすると絵以上に奥が深いんじゃないかなんて思ったりしないでもないのだが、しかし一般的な視点という意味では、絵ってやっぱり専門的な能力が必要で選ばれた人にしか描けず、文章はメンドイのはしゃーないとして書こうとすれば誰にでも書けるという評価なんじゃないかな。そんでいて、pixivとかたまに眺めてみると、そんな専門的スキルを持っている人がこんなにいてスゲーってなる。プロとか同人作家じゃなくても超恰好良い可愛い絵を書ける人がこんなにもいるってのがスゲー。んでついでに小説家になろうとか眺めると、やっぱりこっちもスゲーってなる。文章ってのは敷居自体はそんなに高くなくとも、それを物語に昇華したり、あるいはある程度の文量を書き貯めるというのはこれはこれで誰にでもできるものではないと思うのだ。なろうには質はともかく(いや質も一般的に思われているより高いのだが)アホみたいな文量の作品が結構な数あって、これはこれでやっぱりスゲーのだ。

んで日本にはこんだけの才能を持ったアマチュアが溢れている訳で、恐らく別の場所にはすげープログラマーとかすげー作曲家とかもいるだろうし、こういう人が集まってゲームとか映像作品を作れるようなSNSみたいなのがあればもっと色々カオスで楽しい事が勃発するんじゃねえのかなーなんて思ったりした。恐らく、一時期のニコニコ動画がそんな感じだったのかもしれない。でも昔はともかく今のニコニコはそういうアマチュア気質のサイトでは無くなってしまったし、「完成した作品を発表する場」として機能していた気がするので、それに加えて「作品を作るメンバーを集める」的な要素をプラスしたようなプラットフォームがあればいいと思うんだが。実際、SNSというのはもっと可能性を秘めている形態だと思うのだ。

最近は日本も経済的に落ち目だし、せめて文化的には退廃せずにいたいものである。

コンビニ店長の文章が好きだった

別にコンビニで働いていたことがあるとかそういう訳ではない。

昔、それこそ俺がはてなのサービスを使い始めた頃に「24時間残念営業」というブログがあり、そこのブロガーの愛称がコンビニ店長なのであった。

彼(とはいっても俺より大分年上っぽい)は現実世界の辺境の地でコンビニの店長をしていて、よくブログにコンビニの話題を出すものだから、皆コンビニ店長と読んでいたのだ。

店長はまあ、兎に角クソ長い文章を書く人(褒め言葉)で、毎晩のように5,000字はざらに超えるような記事を投稿していたものである。そんでいて基本的にはまああまり意味の内容な事(えろげのはなしとか)をだらっと語っているだけなのだが、時々物凄く含蓄のある話を書いていて、そういう時には決まってその記事はバズっていたように思う。これとかすごい考えさせられる記事だった。インターネットというのは集合知であって、たいていの人間というのはどこかで拾ってきた話をさも自分が考えたかのように書いたり話したりしているにすぎないのだと俺は思っているのだが、店長に関してはそんなことはなく「この人は普段から自分でいろいろ考えてそれを文章にエンコしてるんだろうなあ」ってのが伝わってきて、俺はそれが好きだった。インターネット界隈というものがもしあるとしたら、彼はそこに一定の地位を築いた人間なのであった……普段はロリコンで少女趣味のおっさんの癖して。

そんで、彼はまあ、数年前によく分からん理由により失踪状態となり、彼のブログもすでに消去されている。ツイッターでは「書くことと俺の蜜月は終わった」なんてかっこつけてる訳で、ようするに彼がまたブログを再開するということは恐らく、ない。そして俺はそれがすごく悲しい。今更ながら。

しかしまあ、俺は精神的不感症なところがあり、現実においてラブという意味で好きになるということは殆どないのだが(ライクはたまにある)、文章においては結構チョロインというか、ギャルゲでいうところの幼馴染ポジと同じくらいには恋に落ちやすいと自負している。そんでその相手はコンビニ店長だったり職業小説家だったりなろう作者だったり色々ある訳だが。最近見つけたブログだと、

ch.nicovideo.jp

とか、いい具合にぶっ飛んでいて好き。あまり更新がないのが玉にキズではあるけれど。先のコンビニ店長もそうだが、こういう、自分の価値観を突き進んでいける人たちっていうのは格好いいと思う、まあ同時に生きづらそうだとも思うんだけど。

そんで格好いいという感情は言ってしまえば憧憬なので、つまりは俺もかくありたいってことだ。周りがどうとかいいかっこしいとかではなく、自分が自分であることを第一にいつでも生きていたいと思うし、それがゆえに世間の常識とかルールを破っていきたい……いや、ルールはダメか。常識は破ってもいいがルールを破ってはいけない、分水嶺は「他人に迷惑をかけるか否か」だ。俺はアホなので法律とか憲法とかそういうのはよく分からないけど、憲法で言うところの「公共の福祉」って概念は素晴らしいと思うのだ。これはようするに、難しい解釈はともかくして、「他人に迷惑を掛けなければだいたいおk」ということであり、これってかなり寛容な思想ではないか。

 

何を言いたいのかよく分からなくなったが、ようするに素晴らしい文章を書ける人は素晴らしい。素晴らしい人に私はなりたい

俺をどこかに所属させてくれ

そうなんだ。俺は居場所に飢えている。職場以外に、俺を俺として受けて入れてくれるナニカが欲しい。そもそもブログを書いているのだって、電脳空間上の自己のパーソナルスペースを作りたいという思惑が合ってのことなのだ。

しかしまあ、まだまだ開設したばかりということもあるのだろうが、相変わらずPV数が増えないのが若干辛いところ。いやまあ、別にPVのために文章書いている訳ではないのだけれども、やっぱり文章を書く以上はできるだけ沢山の人に読んでもらいたいなあって思いはそりゃ人並みには持っている。なにもそこまで「人気ブロガーなりたい!」とかそういうんじゃなくて、今の状態はちょっと、さすがに過疎なので。

とはいえ、本当にPVに困っているのであれば本来はこのシンプルすぎるレイアウトを改善したり意味もないのに無駄に長ったらしい文体を変えたり、見出しとか写真の力を借りて視覚的にも優しい構成を目指すべきなのだろうが、あいにくそれは結構面倒な作業なので不採用である。んで、俺の中のPVにかける思いというのは所詮はその程度というのが現状だ。何よりもまず、自分がストレスなく思った通りにだらだらを文章を書けるというのが一番重要なことで、それに付随してコメント貰ったりPV増えたりとか、そういうのが自分にとっての理想なのだと思う。多くの人に見てもらうのは嬉しいが、それは俺にとっては最終目標ではないのだ。

 

所属について話を展開してみよう。さて、現代というのは昔と比べて様々な場所に「所属」しやすくなったものだと思う。一昔前の人たちは居場所といえば「家庭」「職場」くらいしかなかったと思うのだが、今はSNSを始めればそれ自体が居場所になるし、あるいはSNSを通じて同好の士と出会うことが容易でもある。人によってはリアルとは別の人格をネット上で持っていたりして、何かしらの活動を通じて居場所を持っている人もいるだろうと思う。そんで、俺はそれがすごく羨ましい。個人的にはSNSなにもやってないし。ツイッターなんかは完全にやるタイミングを逃してしまった感がある。時折ネット上でSSとか書くこともあるが、別にトリップとかつけてないので匿名だし。だからその、こう、コテハンとかそういうのがすごく欲しいんです。でもそういうのって何らかの活動をしていないとちょっとねえ。コテだけあるってのも変だし。と、最近はそういうことをぐるんぐるん考えていて、SS書くにもトリップ付け始めたり、小説もなろうみたいな作者のIDが出るところで書いてみたりしている。あと暇な時間にはブログも書いている訳だし。そういう意味では俺は居場所を確保するために文章を書いているのかもしれない。これが絵書ける人ならPixivとか使うだろうし、喋りが上手い人なら配信したりして居場所を作っているのだろう。んで俺の場合そういう強みが全くなく、普通の人よりちょっとでも戦っていける分野というのが書くという行為くらいしか無い訳なので、マズローの5段欲求でいうところの承認欲求を満たすためにはただただ書き続けるしかないという訳だ。

しかしまあそれにしたって、駄文をだらだら書きつづっていても、そりゃ一部の物好きを除いたらそんなに楽しいもんでもなかろうて。という訳で、少しは読者から見て「面白い」文章を書くというのがあえていえば今後の俺の目標になるのかもしれない。

 

それにしても、俺が学生時代の頃のネットは2ちゃんねるが今よりももっと賑わいがあって、そんで2ちゃんねるではコテハンというのが蛇蝎の如く嫌われていた訳で。10年もするとネットって随分変わるんだなって思った次第。

音とは振動ではなくアイデンティティの込められた衝動

――曲とは音の羅列ではなくセカイを紡ぐ鍵

 

さすが飛鳥、なんだかよくわからんけど何となくかっこいい。これには蘭子もご満悦

 

さて本日は「いけにえと雪のセツナ」の発売日。「とりもどそう。ボクたちのRPG」をコンセプトに製作された本作は、あのクロノトリガーの戦闘システムを下敷きにして作られており、大作ではないのだけど、個人的にはここ数か月心待ちにしていた作品なのである。今日のところはダウンロードはしたけれど、プレイはまだ。というのもRPGというのは「いかに世界観に浸れるか」というのが重要なのだと個人的には思っているので、平日にちまちま進めるのではなく休日にガッツリ進めたいタイプ。

それにしてもRPGというジャンルは以前はあれだけ大好きだったというのに、ここ数年は殆どプレイしていない。自分にロープレをするだけの体力がなくなったのか、それともそもそも市場に面白いRPGが出なくなってしまったのか。恐らくは両方だと思う。ここ数年でクリアしたRPG閃の軌跡くらいだし。でも、そもそも最近はRPGの作品が少なくなっているので買うソフトがないという事実もあるし、面白い作品が出たらまだまだ楽しめる自信はあるのだ。俺の感性はまだまだ鈍ってはいないはず。ということで、今回のいけにえと雪のセツナは個人的にすごく楽しみにしてる。

あと二宮飛鳥の初CDも3/2には発売されるし(もう尼で3枚ポチった)、4月にはカバー曲アルバムも発売される。4月になればパワプロもついに発売される訳だし、向こう数カ月は個人的にはワクワクが止まらないのである。

でも一方で、今って年度末が近付いているので、だいたいの社会人の例にもれず、俺も仕事量が多くて辛い時期なのである。本当は有給とったり定時に速攻帰ってゲームしたいのに。膨大な仕事の前ではそんなことできるはずもなく……

しかしまああれだな、視方を変えてポジティブに考えてしまえば、「ご褒美がある」という風にも取れる。お仕事頑張って無事に年度末を乗り切れたら、ゲームの新作も出るしCDも聞けるよ!みたいな。うん、そう捉えることにしようか。いつだって世界はそうやって調和を図っているのだろう。俺のような精神的に脆い人間を社会から脱落させない為に、神様は道中に回復アイテムを設置してくれているのだ。ありがとう、神様。俺無宗教だけど。

 

明日は久々に職場の飲み会である。職場の飲み会というのは最近の若者には敬遠される風潮にあり、例によって俺もそうである。基本的には。飲み会は本来楽しむものなのであろうが、俺はああいった喧噪に満ちた場所ではどうにも気が休まらず、心から楽しむことが出来ないのだ。だからあくまで合理的に動いた場合、俺は飲み会に欠席したほうが「得」なのかもしれない。しかし一方で、けして合理的には出来ていないのがこの世界な訳で。つまいこういう場にある程度の頻度で出席しないことには職場連中から浮いてしまうということにもなりかねない。学校で浮くというのはこれは人払いをする必要がなくなるので返って楽だが、職場となるとどうしてもチームで仕事を進める必要がある都合上、浮くというのは往々にしてマイナスに働く場合が多い。そういった訳で、全く非合理的ではあるのだけれど、俺は明日の飲み会に出席するつもりである。

 

ほんとうは花金なので直帰してすぐにゲームやりたいんだけどなー。でも組織で働く人間である以上、人間関係というものにある程度束縛されるのは仕方ないのかもしれないね。本当にこういったしがらみから解放されたいのであれば、どうにかして組織に頼らず生きていく必要があるのだけれど、それは今の俺にはちょっとばかし難しい訳で。まことに不服ではあるのだけれど、もうしばらくは会社という組織にしがみつく必要があるのだろう。

恋愛的不感症ってやつなのか

中学校を卒業してから本気で人に恋したことがない。

別に「俺は恋という感情を知らない冷酷な人形だから……」みたいな中二アピールではない。まあ中二病ではあるんだが(不治の病だから仕方ないね)。むしろ中学までの俺はかなり目移りする系男子で、常に二人以上の女子に恋してた気がする。恋してたけど何も行動に移せなかったヘタレなのだが。いやしかし男子中学生ってそれがデフォか。

中学校を卒業し、地元からちょっと離れた高校に進学した俺はクラスでの最初の自己紹介を終えて「なんだ、中学校と比べて可愛い子いねえな」ってなり、そのまま現在に至るまで一目惚れをしたことがない。というか恋したことがない。そんで今、人を好きになれないというのが目下俺の悩みでもあるのだ。ああ中学時代、同じクラスの好きな女子と会話出来ただけでその後2週間くらいは幸せの余韻に浸っていたあの頃。あの頃の感覚を思い出せれば、今のどこか味気ない生活もちょっとは変わるのかもしれないようなそんな気がするのだ。

別に性欲が無いって訳でもない。エロい気持ちは常にあるし。リアルの女見てムラムラすることもそりゃある。だって男だもの。でも恋は出来ない。恋は難しい

思うに、中学生までの俺は性欲と恋愛感情がほぼイコールで繋がれてたのかもしれない。「セックスしたい=好き」だった。そりゃ一度に複数の人に恋するわ。そんで、これは動物としてはすごく真っ当だと思うし、他人の事はよく分からんけど大人になってもこういう男って多いんじゃないのかなあ。

でも俺の場合、今はその辺が結構シビアに分けられていて、時折すれ違った女性を見て性的に感じることがあってもそれが一目惚れとかに繋がることは全くないのだ。なんかもっと、内面的に惹かれるものがないと。これあれかな、高校時代に少女漫画とか夢小説とか読み過ぎたせいかな。俺は女じゃないから分からんけど恋のメカニズムがどっちかというと女よりなのかもしれん。でも俺ホモじゃねえけどネットに落ちてる夢小説読むの結構面白かったんだもん。あの頃は何を読んでても面白かった。高校時代の多感な感性ばんざい。

で、今ふとこの単語が頭ん中に降りてきたんだけど、俺ってたぶん「内面的面食い」なのかもしれない。相手の内面に対して過度に理想を求めてしまうというか。面食いってのは自分のハードルを下げられないから中々恋愛が出来ないとはよく聞くけれど、俺の場合より一層拗らせていて、相手がいわゆる「性格イケメン」であるのを過度に求めすぎているのかも。自分より秀でていて、人間として尊敬できる人。そうだ、俺はこういう人と恋に落ちたい。思想を盲目的に崇拝できる人を俺は好きになりたいのだ。でもそんな人って現実ではいるはずもなく……

あれか。そのうち文通でも始めてみるか。調べてないから分からんけど、今の時代とかネットで文通の相手とか見つけられるんじゃねえの。文通とかすれば相手の内面を探ることが容易になるわけで、ひいては俺のフォーリンラブに繋がる可能性もさもありなん、って訳だ。発想が天才のそれ。

 

でも正直な話、俺みたいな文章書くの大好き人間にとっては、文通ってかなり面白い制度だと思う。書くのメンドイけどね。

現在はツイッターなりラインなり、もうちっと短めのチャットが主流だけれど、個人的にはもっと長文のやり取りが傍流にあっても面白いんじゃないかなあと思いました。