中庸

裸の心で書くブログ

共鳴世界の存在論

最近ふと鏡を見たときに、「オッサンになったなー」と感じた。とはいえ俺はまだ若干24才でしかないので世間一般からすればまだまだ若者の域を出ていないのだと思うし、もう少し年配の人たちからすると大学4年生くらいのヤツが「かーっ、新入生若いわー。俺もうオッサンだわー、かーっ」って言ってるのとたぶんニュアンス的には同じなのかもしれないが、それはともかく、他ならぬ俺自身の主観として、自分の顔から若さが失われていくのを感じている次第である。

具体的に言うと、肌なのだろうなやっぱり。いやまあ俺は別に若い頃から肌が綺麗というタイプの人間では無かったのだが、それでもやはり学生時代というのは肌がツヤツヤだったのだなあ、と現状と比較して逆説的にそう思う。あと髪質も。学生時代からずっと同じような髪型で通しているのだが、最近は髪がパサついたり上手くまとまらなかったりするので、何となくイイ感じに髪型がまとまらないものだ。やはり髪型というのは年齢を経るにつれて変えていく必要性があるのだなと思う。女の子みたいに髪を伸ばしてても似合うのはせいぜい高校時代までだろう。20を過ぎると男女の性差というのが如実に見た目に出てくるので、それまで中性的なキャラで通してた人はその辺りで外見的なマイナーチェンジが必要になってくる気がする。

そんで、そういう忍び寄る「老い」の影に俺自身が恐れ慄いているのかというと、実はそうでもない。というのも今のところ老いの影響は外見的な特徴(それも極一部)に留まっており、健康的な面での影響というのはほぼないからだ。それに加えて自分は別に若いころからイケメンとして鳴らしていた訳でもないし、ようするに老いによって目減りする資産がある訳では無いのでその辺りは杞憂である。逆に言えば、学生時代は外見的な面で色々と恩恵を得ていた層の人たちは、俺と同じくらいの年齢になってから結構苦労していたりするのかもしれない。

人は見た目が9割」なんて本が一時期売れていた気がしたのだけれど、これに対して俺は全面的に肯定の立場に立ちたい。というのも別に不細工のイケメンに対する僻みとかそういうんではなくて、実際のところ外見的影響というのはかなりデカいと思う。まあ例えば2ちゃんなんかだとこれが「※ただしイケメンに限る」なんて風に表現されているのだけれど、まああれはあれで行き過ぎたルサンチマンだとして、しかし現実問題、そういった主張があるというのも無下には出来ない。

人間というのは俺自身も含めて、自分たちが思っている以上に外見という評価軸に対してシビアだと思う。そんで皆、心のどこかでは薄々そういったある種残酷な事実に気付いていることだろう。俺が猫を好きなのは奴らが外見的に可愛いからであり、同様に虫を嫌ってるのは奴らがキモいからなのである。とまあこれは極論であって、別に人間関係に限って言えば我々は決して外見という一要素のみに限定して友人を作ったり、恋人を選んだりしている訳ではないのだが、しかし依然としてその人への評価に占める外見の割合はでかい。これはきっと、「分かりやすい」のに起因しているのだと思う。内面的特徴なんているのは一目でわかるものではない。むしろ一目でわかるものというのは其れ即ち外見の事を指している。

だからイケメンとか美少女に生まれた人というのは、正直それ以外の要素が全く等しい普通の人と比べたらよっぽど生きやすいと思う。僻みとかではなく、本当にそう思う。ただここで大事なのは、外見というのは加齢に比例して目減りしていく魅力であると言うこと。年を取るにつれて人間の魅力というのは外見から内面にシフトしていくと思われるので、若い頃に外見的に優れていることにかまけて内面的に成長しなかった人間というのは歳をとってから苦労するのかもしれない。

 

というイケメンになれなかった男の僻み