中庸

裸の心で書くブログ

外向型と内向型

という分類があるらしい。かの有名なカール・グスタフ・ユングによる分類である。

で、ユングの言うところでは人は外向型と内向型の2種類に分かれる。外向型は自分の関心が外の世界に向いている人間で、内向型は内なる自己の世界を大事にする人間とのこと。

外向型

・初対面の人と話したり、知らない場所へ行くのが好き

・常に新しい体験を求め、エネルギーに変換できる

・パーティとか飲み会とか、対人コミュニケーションが好き

・自己表現が得意

・チームプレイが得意

 

内向型

・一人で部屋で過ごすのが好き

・他人に無干渉

・飲み会とか疲れる

・自己表現苦手

・個人プレイに走りがち

 

とまあこんな感じらしい。これだけ見るとどうやら内向型は人としてダメダメなようだが、決してそういう訳ではなく、単に個性の違いというか。つまりはリビドーが外に向くのか内に向くのかによって、その人の基本的な性質が決まるという考え方のようだ。

で、俺はどう考えても内向型の人間である。なまじ適応性があるというか、人付き合いも大事にしているほうなので(だってその方が長期的に見ると楽)人当りが良いように思われたりもするのだけれど、実際人と会話をすると色々と気を使って疲れることが多いし休日は家から出ずにだらだら過ごすことが多いしで、完全に内向型なのである。てか考えてみると、はてブとかやっている時点で内向型の人が多いだろって。外向型の人はフェイスブックとかインスタとかやってるイメージあるし。はてな村界隈っていい具合に拗れた人が多いし、そういう人は多分外向的な人間ではない。

基本的に俺の人生は「最大幸福主義」ではなくて「最少苦痛主義」という旗の下に歩み続けている気がする。学生時代にはそこそこ勉強も頑張って世間一般的にはそこそこ良さげと言われる大学に入ったものだが、それだって「成り上がってモテモテになるんじゃあ!」みたいなポジティブな動機ではなくて「今頑張った方が後々楽できそう」というネガティブな動機によるものだったし、就活においてもそんな感じである。この話のオチは、そこまで楽を追求しながら今現在の俺は全然楽ではない生活を送っているというところにあるのだが。でもまあ「同期の桜」という言葉に見て取れるように、少し上の世代が上昇志向だったのに比べると、俺たちくらいの世代は、俺みたいなゆるい考え方の人間が増えてきてる気がしないでもない。ワークライフバランス大事にするみたいな。恐らくそれは娯楽の普及とかネットの発達とかそういうのと無関係では無くて、多くの人が仕事以外に「やりがい」を見つけ始めた結果、相対的に職場での出世とかそういうのが重要視されなくなってきたのかもしれない。世の中全体的に価値観が多様化してきたことだしね。昔であれば出世=生きがいだったのが、今の時代は「楽しく暮らせればそれでよくね」ってかんじに少しずつ変わってきているような感じがある。そしてその流れは、恐らくは俺にとってはふさわしいというか、生きやすい流れなのだと思う。この流れがもっと加速して「あれ、別に一生アルバイトでもよくね?」みたいな世の中になれば俺も安心してフリーターになるのだが……どっこい、今の時点ではフリーターという選択肢はリスクが高すぎる。もっと社会が成熟したらそういう生き方も出来るようになるのかもしれんが。

しかしあれだ、学生時代の俺は会社員の「苦痛」の度合いをナメていた。こんなに辛いんだったら、最少苦痛主義的に考えて、勤め人になるという選択はしなかったと思う。いやまあ、士業とか自営業もそれはそれで大変なのはわかってるよ?でも、組織で生きるってのがこんなにつらいとは思わんかったもん。医学部いって医師のバイトとかで稼ぐのが楽だったかもしれんな……ってこれも甘い考えか。

 

ただ楽に生きるっていうのであればそれは恐らく簡単に成就するのだけれど、相応の尊厳を維持しつつ暮らしていくというのはとても大変なのだと思う。