備忘ログ

メモ以上日記未満

結婚式

いわゆる幼馴染といえる友人(同性)が結婚したとの連絡があった。実に喜ばしい出来事である。今月入籍し、式は8月ごろにあげるらしい。

そうして今、俺を悩ませている問題が「結婚式の友人代表の挨拶を振られたらどうしよう」ということだ。

いや、結婚は実に喜ばしい。のだが、それとこれとは話が別で、人前で話をすることが輪をかけて苦手な僕にとっては、これは実際のところ由々しき問題なのだ。

ーーまあ、ここまで心配して別の友人が挨拶することになりました、であれば杞憂で済むのだけれど。今回ばかりは腹を括らねばならないのかもしれない。

それにしても、世の夫婦はどうしてこうも結婚式を挙げたがるのだろうか。結婚式を開くには多大な費用と時間と手間がかかる一方で、比較衡量するに足るメリットは無いように思われるのだが。

とはいえ僕は普段は真っ当な社会人の皮を被っているだけの社会不適合者であり極度のパーティ嫌いの人間なので、僕自身の考えが世間一般とは異なっているというところが実際のところなのだろう。

 

話は変わるが、最近読んだ本の中で面白かったのが「風よ。龍に届いているか」という小説だ。ウィザードリィというゲーム界の旧石器時代の作品を元にした所謂ゲームブックというやつだ。僕はまあ、同世代の中では新古典主義派というか、比較的昔の作品に精通している分類の人間だとは思うのだが、さすがに初代ドラクエよりも古い本作品には触れたことはなくて、それでもゲームブック云々を抜きとして一つの良質なハイファンタジー小説として楽しませてもらった。僕は基本的には「今」の作品が「過去」のそれよりも全般的には優れているという考えの持ち主で、それは決して過去を蔑んでいる訳ではなく、優れた過去の作品の積み重ねの上に今が存在しているという考え方が根底にあってのことなのだが、ことファンタジーという分野に関しては過去が今に優っていることが少なくない、と感じている。アルスラーン戦記然り、デルフィニア戦記然り。

思うに、現在の「ファンタジー」という世界観は、あまりにロールプレイングゲームの影響を受けすぎているのだ。もう少しはっきり言ってしまうと、ドラクエだとかFFの影響がでかすぎる。

だから、どの作品を読んでも同じような世界観に感じてしまうのだ。当然、それが物語に没入するための敷居を下げているというメリットを生み出していることも否定はしないが、作品の一つ一つを無個性に感じてしまうこともあり、一長一短だなあと感じる次第である。まあ、優れたテンプレートが存在する時代に、その流れを無視して世界観を作り出すというのは難しいのかもしれない。自分もファンタジー的なサムシングの妄想するときはどうしても「ギルド」だとか「冒険者」だとか「魔獣」だとかそういう世界観になってしまうし。

ちなみに、上記作品を読み終えた後にkindleでおすすめされた「ウィザードリィ日記」というエッセイも読んでみたが、こちらも80年代当時の空気が色濃く感じられる素晴らしい作品だった。