備忘ログ

メモ以上日記未満

パソコンをつける気力がない

冗談ではなく、真面目な悩みである。

僕が現在使っているPCは投資人生の春を謳歌していたつい2,3か月ほど前に買い替えたばかりの代物で、総額30万円程度はしたミドルスペックのゲーミングPCである。できないことと言ったらめちゃくちゃ重い最新のゲームを最高設定でやるとか動画を作ってエンコするとかそれくらいなのであって、単なる動画視聴やブログ執筆なんてのは朝飯前なのであった。

けれども、とうのPCの所有者である僕はというと、仕事終わりにPCをつける気力がなく、常にベッドでゴロゴロしつつスマホを眺める毎日なのである。いま、この瞬間は記事を更新するために一念発起しPCを起動させているものの、逆に言えば一念発起しなければPCを起動することすらできないのだ。これは仕事疲れによるものなのだろうか、いやしかしそれだけが原因ではない気もする。

ともかく、PCを起動できないことにはこうしてブログの更新もできないし、動画を視聴するにしても調べものをするにしてもPCのほうが情報収集に最適な機器であることは間違いないわけで。

今年の目標はスマホの使用を控えてPCの時間を増やすことにしたいと思うのだった。

 

ーーでもweb小説を読み漁る一点においてはスマホのほうが優れてるんだよなあ

煩悩

最近の出来事

・黒牢城を読んだ

・太ったのでダイエットを始めた

・テスラ株で焼かれて死んだ。300万程失った。

 

一つ目について。

直木賞をとった米澤穂信の黒牢城を読んだ。小説を読むのは久しぶりで、年間に10冊程度しか読んでいないかもしれない。とはいえ、小説以外の本はそこそこ読んでいるし、なろうだとかカクヨムは結構読んでいるから活字離れしている訳ではないのだが。

それでも、大学時代には年間100冊はゆうに超えるペースで小説を読破していたと思うので、明らかに退化していると言わざるを得ない。

 

二つ目について。

ここ数年来55キロ程度で維持していた体重が、気づけば60キロまで増えていた。しかも、お腹にはぽってりと脂肪が……ぐぬぬ

やむを得ず、先週あたりからダイエットを開始。とはいっても始めたのはレコーディングダイエット(食べたものの記録)と一日一回の腹筋トレーニングくらい。しばらく様子を見ようと思う。

 

三つ目について。

いうまでもなくこれが一番痛い。投資に関して言えば、僕は2年前のコロナショック時に当時の総投資金額200万円を50万円まで減らし、その後最近までは相場の調子もうなぎ上りなこともあって資産を650万円ほどまで伸ばしていたのだが、この度テスラ株で爆発四散し350万円程度まで後退。おおよそ1年前の資産総額まで目減りしたわけで、一年でも早く仕事を辞めるべく投資に励んでいる身としてはそこそこメンタルがつらたん。とはいえ、300万円を溶かしたこと自体に対する精神的ダメージは思いのほか小さく、どちらかというと「このままテスラ株ガチホしとけばあと数年でFIREできるんじゃ……」という(甘すぎる)人生設計が御破談となったことに対する切なさがある。FIREするためには最低1億円は必要なわけで、そうすると少なくとも年間2倍の投資成績を5・6年は続ける必要があるわけで。何かいい方法はあるまいか……

 

久々の記事なのにこんな煩悩にあふれた内容になってしまっているのが、今の自分の人間としてのつまらなさを表しているようでつらい。

金がほしいんじゃないよ、自由が欲しいんだ。でもそのためには金が要る……

読書嫌いのための図書室案内

読書嫌いながら図書委員会に所属し、図書新聞の編集長に選ばれてしまう荒坂浩二。
読書好きだが内気でコミュニケーションに難があり、けれど本に関する話題になると突如として饒舌になるというテンプレートな設定の文学少女である藤生蛍。
この二人が協力して図書新聞を完成させるために、先生、先輩、友人の3人に読書感想文の作成を依頼し、回収するために様々な問題を乗り越えていくというのが主題の物語である。
主人公の設定にしてもストーリーのプロットにしても特段目新しさは感じず、荒坂と藤生の2人の関係の進展を楽しむという物語でもないので、そういった楽しみ方を期待する方にはもっとオススメの作品があるのかもしれない。
この本を特別たらしめているのは、物語を通じて語られる「読書とはなにか」という問いだ。人は何のために読書をするのか、何を求めて読書をするのか、という問いでもある。
当然、その答えは一様ではなくて、人の数だけ答えがあるといっても過言ではないと思う。
作中の人物だと、主人公の同級生である八重樫が森鴎外の『舞姫』を読んでいるのは、意中の人である留学生のアリシアとのコミュニケーションツールとして。先輩である緑川がヘッセの『少年の日の思い出』を読んだのは、自らの過去の過ちと悔恨を物語の主人公と分かち合うため。端役である生物部の柳井は単純に娯楽性を求めてなろう系の異世界転生小説を読み漁っている。読書フリークであるヒロインの藤生が本を読み始めたきっかけは生きていく術を身に着けるためだ。
そうして自分はどうだろうと考えると、当然ではあるがその答えは一つではない。日常的に本を読んでいるのは、単純に娯楽として楽しいからという理由が大きいが、自分が一番「読書家で良かった」と思うのは、生きていく上で何らかの大きな障害にぶち当たり、だれかのフォローを必要としている場面だ。
こういう時、自分を助けてくれる「だれか」というのは、本であることが多かった。それはハウツー本や新書といった「悩み」そのものを主題とした本であることもあるし、全く関係ない小説の何気ない一節であったりもする。あるいは「読書」という行為そのものが自身の思考を整理する一助になっているのかもしれない。
いずれにせよ、読書という行為でしか得られない知見というものは確かにあって、それを縁(よすが)にして自分はこれまでの人生を何とか生き抜くことができたように思う。


物語の最後に、ヒロインの藤生が主人公の荒坂に言うこんな台詞がある。

「そんなの本の読みすぎですよ」

よくできた冗句だ。重度の活字中毒者の藤生が、本を全く読まない荒坂に言うからこそ映える台詞で、率直にめちゃくちゃ機知に富んだ台詞だと思う。
こんな会話ができるのは間違いなくコミュニケーション能力が高い人間だ。

では、藤生はこんなハイセンスなコミュニケーションをどこで学んだのだろう?
友達が少なく、引っ込み思案で友人付き合いの経験に欠ける藤生が一体どこで?


やっぱり読書って最高だ。

時砂の王

小川一水の時砂の王を読んだ。この小説は僕が始めてkindleを利用し始めた時にオススメ本としてチョイスされたもので、その日のうちにダウンロードまでは済ませたのだが、ハードSFという印象があったので気力が充実したら読もうと決意し早幾年、ついに先日読み始めるところまでたどり着いたのだ。真面目な話5年とかその辺では聞かないくらいの時が流れていると思うんだ。

で、実際に読み始めてみると案外すいすいと読み進められるもので、おそらく合計5時間かそこらで読了。かといって中身の薄い小説というわけではなく、むしろ濃い。栄養ドリンク的というか、内容量が少ない分味は強烈みたいな。

時間遡行モノのSFを読んだのはたぶん去年あたりに野崎まどのハローワールドを読んで以来なのだが、あちらの小説はライトSFなのでだいぶ毛色は違う。ゆえに比べられるものでもないのだと思うのだが、あえて比べるとしたら今回読んだ時砂の王のほうが好みである。

SFというのは結構シリアスな内容のものが多いけれど、それでも最後はハッピーエンドで終わってほしいというのがゆとり世代の僕の考えである。そういった意味で、本作の読了感というのは非常に心地よかった。

 

あらすじを書こうとしたが、最近あまりにブログを書いてなさ過ぎてそんな長大な文章を書きあげることはできないので諦める。

ゲームに週末を奪われる

というのが最近の悩みだ。こういう書き方をすると、休日の有意義な過ごし方ができずやむを得ずあまり面白くもないゲームをして時間を浪費している、というように取られてしまうかもしれないが、あいにくそういく文脈ではない。週末に他にやりたいことがたくさんあるにも関わらず、ゲームが楽しすぎて他のことが手につかないという状況だ。具体的にいうと、最近の僕の週末は時間にしておおよそ6割程度がOverwatchとApex LegendといういずれもPvPのゲームに費やされてしまっている。PvPのゲームというのはストーリーよりも競技性を重視されている分野であり、自分自身が飽きることがない限りは何年でも何時間でも遊び通すことができるという悪魔のようなゲームである。

しかし僕自身は毎週ゲームの時間を楽しんでいる訳で、じゃあそれはそれで有意義な時間の使い方なんじゃないか、という意見もあると思うが、それは違う。というのも、僕自身は元々生産的な趣味ーー例えばブログだとか小説執筆だとかーーそういうものに生きがいを覚えて生きてきた人間、そういう趣味というのは文章を書いたり物語を作ったりする時には生みの苦しみを感じることもあるのだけれど、何らかの成果物を残すことができるという一点において長期的視点で考えたときの幸福度がかなり高い気がしている。

一方でゲームというのはその時々はめちゃくちゃ楽しいのだけど長期的な視点で考えるとあまり幸福度に寄与していないと思っている。というか負けまくったり嫌なファンメールをもらったりするとストレスが溜まることさえある。

目先の快楽に負けて長期的な幸福度を犠牲にしているという点において、僕が抱えている悩みの性質は「休日の朝に二度寝してしまったせいで何もスケジュールをこなせず一日が終わってしまう」のに近いのかもしれない。

星を継ぐもの

というSF小説を最近読んだ。

端的に言って非常に出来の良い物語であり、知的好奇心を喚起する小説でもあった。自分が高校生の時にこの小説に出会っていたら、おそらくは理系の学部に進学し、今とは異なった人生を歩んでいただろうな、と思うほどには科学技術というものに強い憧憬を抱かせる作品だったと思う。

SF小説は僕が大学生時代の頃によく読んでた分野の本で、当時は何しろ暇を持て余した乱読家であったから、1984だとか幼年期の終わりのようなコテコテのSFから銀河英雄伝説のようなエンタメ性の高い小説までそれこそ本屋の早川SF文庫の棚に置いてある本を比喩ではなく片っ端から読んでいくような生活を送っていたのだが、どういう訳かこの名作を読む機会はなくて。しかし読んでみると、これまで読んだSF小説の中でもトップクラスで面白い作品だったと自信をもって言える。

ついでに、他に好きなSF小説は、「火星の人」とか「夏への扉」とか。SF小説というと何となく読みにくいイメージがあるかもしれないけれど、「星を継ぐもの」を含め、先に挙げた作品は結構読みやすい部類に入ると思うのでSF初心者の方にもオススメである。

しかし、僕が人生で一番SF小説を読んでいたであろう大学時代は、よくSF小説の冬の時代と言われていたようだけれど、その時と比べると今はぼちぼち底を脱しているのかな、とも感じる。具体的に言うと、若い小説向けの作品が増えているイメージ。半分ラノベみたいな。

そもそも、いつの時代も中高生男子は宇宙だとか、サイバーパンクだとか、そういう如何にもSF的な世界観は好きなのだ。FF7のミッドガルとかもあれ、如何にもSFって感じがして素敵。

SFという分野がもっと流行って、僕好みの作品がガンガン出てくれるとすごく幸せだなあと思いました。具体的にいうと銀河英雄伝説的な硬派なスペオペが読みたい。

時間

年々、自由な時間を失っている気がしてならない。

僕の人生において最も自由な時間が多かった時期というのは紛れもなく大学時代で、それは自分にとって最も幸福な日々だったと今でも確かに断言できるのだが、卒業して社会人になってからというものの、どうにもまとまった時間を取ることができずに頭を抱えている。ただでさえ一日8時間労働を週5日続けるだけでも辛いのに、最近はそれに加えて残業も月50時間程度あったり、週末も出勤することが多かったりでストレスがマッハ。

いやまあ、自分よりもきつい労働を強いられているなんて数えきれないほどにいることだとか、自分はまだまだ恵まれた環境で働いているのだということは重々承知しているのだけれど、ここで問題になっているのは相対評価ではなく絶対評価なのである。