読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

中庸

裸の心で書くブログ

市民、幸福は義務です

最近の俺はそこそこ幸せである。いや、幸せというよりは平和という表現のほうが合っているのかも知れない。ニュアンスとしては後者のほうが受動的な感じがしないでもない。幸せは自ずから掴むものであり、それはちょっと違和感がある。

さて、平和である。大学時代の俺を鑑みると、そこにはただ退廃という言葉の似あう人間がいた。大学にもろくに行かず、かといってバイトやサークルでウェーイすることもなく、ただただ部屋に引きこもってインターネットアニメゲーム読書に興じ、時折友人宅で鍋をつついては朝までゲームをしながら馬鹿話に浸り、月に2,3度は部活に顔を出して幽霊部員の務めを全うするような、そんな非リア階層に属する憐れな小市民であった。

で、まあ憐れな小市民という意味では社会人3年目に突入した今でも特に変わりはないのだけれど、しかし大学時代と比べるとなんというか、俺は「まっとうな人間になった」のだと思う。そうしてそれは、一般的な観点から見れば万々歳というか、成長という言葉で括られて相応しい現象なのかもしれない。

しかし一方で俺は良い年して厨二病であり、これは不治の病だからこれからも俺は厨二病でありつづけるとだと思う。そして厨二病というのは「まっとうな人間」であることをどうしたって嫌う。だってそんなのは自分が単なる普通の人間であるということとほぼ同義であり、アイデンティティの否定に帰結するのだ。そういう意味で俺は社会人になってからつまらない人間になってしまったと自分でも思うし、しかもその流れは今後ますます加速していくだろう。ジャネーの法則よろしく、日々はどんどん過ぎ去っていき、俺はどんどん普通になっていく。それが結構つらい。

自分が特別な存在では無いことを自覚することが、あるいは大人になるという事なのかもしれない。でもそれなら俺は大人にはなりたくないと思う。

 

でもそんな強固な意志とは裏腹に、明日の俺は今日よりもより普通の存在になっているのだろう。なぜなら普通でない存在にとって、この世界を生き抜くのはあまりにも厳しい。人は皆、社会生活を送るために普通になっていくのだ。俺もその例外ではない。