備忘ログ

メモ以上日記未満

読書嫌いのための図書室案内

読書嫌いながら図書委員会に所属し、図書新聞の編集長に選ばれてしまう荒坂浩二。
読書好きだが内気でコミュニケーションに難があり、けれど本に関する話題になると突如として饒舌になるというテンプレートな設定の文学少女である藤生蛍。
この二人が協力して図書新聞を完成させるために、先生、先輩、友人の3人に読書感想文の作成を依頼し、回収するために様々な問題を乗り越えていくというのが主題の物語である。
主人公の設定にしてもストーリーのプロットにしても特段目新しさは感じず、荒坂と藤生の2人の関係の進展を楽しむという物語でもないので、そういった楽しみ方を期待する方にはもっとオススメの作品があるのかもしれない。
この本を特別たらしめているのは、物語を通じて語られる「読書とはなにか」という問いだ。人は何のために読書をするのか、何を求めて読書をするのか、という問いでもある。
当然、その答えは一様ではなくて、人の数だけ答えがあるといっても過言ではないと思う。
作中の人物だと、主人公の同級生である八重樫が森鴎外の『舞姫』を読んでいるのは、意中の人である留学生のアリシアとのコミュニケーションツールとして。先輩である緑川がヘッセの『少年の日の思い出』を読んだのは、自らの過去の過ちと悔恨を物語の主人公と分かち合うため。端役である生物部の柳井は単純に娯楽性を求めてなろう系の異世界転生小説を読み漁っている。読書フリークであるヒロインの藤生が本を読み始めたきっかけは生きていく術を身に着けるためだ。
そうして自分はどうだろうと考えると、当然ではあるがその答えは一つではない。日常的に本を読んでいるのは、単純に娯楽として楽しいからという理由が大きいが、自分が一番「読書家で良かった」と思うのは、生きていく上で何らかの大きな障害にぶち当たり、だれかのフォローを必要としている場面だ。
こういう時、自分を助けてくれる「だれか」というのは、本であることが多かった。それはハウツー本や新書といった「悩み」そのものを主題とした本であることもあるし、全く関係ない小説の何気ない一節であったりもする。あるいは「読書」という行為そのものが自身の思考を整理する一助になっているのかもしれない。
いずれにせよ、読書という行為でしか得られない知見というものは確かにあって、それを縁(よすが)にして自分はこれまでの人生を何とか生き抜くことができたように思う。


物語の最後に、ヒロインの藤生が主人公の荒坂に言うこんな台詞がある。

「そんなの本の読みすぎですよ」

よくできた冗句だ。重度の活字中毒者の藤生が、本を全く読まない荒坂に言うからこそ映える台詞で、率直にめちゃくちゃ機知に富んだ台詞だと思う。
こんな会話ができるのは間違いなくコミュニケーション能力が高い人間だ。

では、藤生はこんなハイセンスなコミュニケーションをどこで学んだのだろう?
友達が少なく、引っ込み思案で友人付き合いの経験に欠ける藤生が一体どこで?


やっぱり読書って最高だ。