備忘ログ

メモ以上日記未満

アーリーリタイア

というものに興味がないと言ったら嘘になる。

世の中には仕事を生きがいとすることができる人間がいるということは否定しないけれど、しかし自分はそういった類の人間ではなくて。

慎ましく一生を暮らせる程度の金額を人生のなるだけ早い段階でため込んだら、仕事を辞めて思い思いの日々を過ごしてみたいという思いは強い。

まあ、そのために何かやっているのかと言われると、通常よりも多少リスクを取って株式売買を行っているという程度なのだが。しかも、現時点ではその判断は裏目に出ている訳で。

そんなわけでまあ、アーリーリタイアというのは今のところは夢物語でしかないのだけれど。

夢がなければ生きていけないのもまた人間なのである。

旧友との惜別と新たな出会い

月並みな表現ではあるが、春は出会いと別れの季節である。

それは人間関係に限ったものではなくて。

一言でいうと、長年使用していたスマホを落として破壊してしまい、新たな相棒を迎え入れることになったのだ。

以前使っていた機種はSonyのXperiaZ4という、激動の潮流であるスマホ業界にあっては化石のようなデバイスだったのだが、辛くも今回、ポケットにいれていたスマホを床に落とすという初歩的なミスにより画面が破損し、新機種への購入に至った次第。

ついでに言うと、新機種はHuaweiのP20という機種だ。25000円というミドルクラスでも低めの価格設定の機種を選んだのだが、思いのほか性能が良くて満足している。この値段でこのスペックの機種を出されてしまっては日本のメーカーが劣勢に立たされている(というかもう終戦しているか)のも頷ける。

ネットユーザーの中には中国アレルギーや韓国アレルギーの人が結構な割合でいて、その人たちに言わせれば中韓スマホは情報が抜かれる云々で避けるべきだと主張しているのだけれど、まあ僕自身はさしたる重要な情報を有している個人ではなく、また細かいことを気にする人間でもないため、目先の安さにつられて本機種を購入したところもある。

 

先程、ベニー松山の「隣り合わせの灰と青春」を読了。面白かったが、前回読んだ同シリーズの「風よ。竜に届いているか」と比べると見劣りするように感じた。

 

俺か。俺以外か

巷で専ら話題の異色のホスト、ローランドの自伝を購入して帰宅する。

まだ半分くらいしか読んでないけれど、ローランドの為人が文章に滲み出ていて非常に好感が持てる。

ローランドは自分とは全く真逆の存在だが、しかし似ている部分もそれなりにあるのかもしれないと感じた。

それは例えば自分の発する言葉、紡ぐ文章の一字一句に対して丁寧に向かい合っている所だとか、或いは他者に対して自分の生き様や考え方を強制しないところとか。

まあ前者については、今の僕は全くそんなことはなくて、リハビリがてら校正もせずにだらだらと文章を打ち込んでいるだけではあるが……

仕方ない。以前の自分は小説を書いたりブログを書いたりということを継続的に行っていたのでそれなりの文章をそれなりのスピードで書くことができていたのだけれど、現状は全盛期からは程遠く。

とにかく、文章を大量に書けるようにならなければ文章を書く喜びというのは半減するものなので、今のところはクオリティは二の次として文章をたくさん書くリハビリを積み重ねていきたい次第。

ちなみに心霊探偵八雲の筆者の神永なんちゃらさん(ド忘れ)は社会人になってから同人小説を出版したのが切っ掛けでデビューしたらしい。夢のある話である。

自分のせめて、デビューとまではいかなくとも、大学時代までのようにweb小説を書けるくらいまでは創作活動に耽りたいものである。今の自分にとってはそれですら夢のまた夢だが。しかしどっこい、老け込むにはまだ早すぎる。

結婚式

いわゆる幼馴染といえる友人(同性)が結婚したとの連絡があった。実に喜ばしい出来事である。今月入籍し、式は8月ごろにあげるらしい。

そうして今、俺を悩ませている問題が「結婚式の友人代表の挨拶を振られたらどうしよう」ということだ。

いや、結婚は実に喜ばしい。のだが、それとこれとは話が別で、人前で話をすることが輪をかけて苦手な僕にとっては、これは実際のところ由々しき問題なのだ。

ーーまあ、ここまで心配して別の友人が挨拶することになりました、であれば杞憂で済むのだけれど。今回ばかりは腹を括らねばならないのかもしれない。

それにしても、世の夫婦はどうしてこうも結婚式を挙げたがるのだろうか。結婚式を開くには多大な費用と時間と手間がかかる一方で、比較衡量するに足るメリットは無いように思われるのだが。

とはいえ僕は普段は真っ当な社会人の皮を被っているだけの社会不適合者であり極度のパーティ嫌いの人間なので、僕自身の考えが世間一般とは異なっているというところが実際のところなのだろう。

 

話は変わるが、最近読んだ本の中で面白かったのが「風よ。龍に届いているか」という小説だ。ウィザードリィというゲーム界の旧石器時代の作品を元にした所謂ゲームブックというやつだ。僕はまあ、同世代の中では新古典主義派というか、比較的昔の作品に精通している分類の人間だとは思うのだが、さすがに初代ドラクエよりも古い本作品には触れたことはなくて、それでもゲームブック云々を抜きとして一つの良質なハイファンタジー小説として楽しませてもらった。僕は基本的には「今」の作品が「過去」のそれよりも全般的には優れているという考えの持ち主で、それは決して過去を蔑んでいる訳ではなく、優れた過去の作品の積み重ねの上に今が存在しているという考え方が根底にあってのことなのだが、ことファンタジーという分野に関しては過去が今に優っていることが少なくない、と感じている。アルスラーン戦記然り、デルフィニア戦記然り。

思うに、現在の「ファンタジー」という世界観は、あまりにロールプレイングゲームの影響を受けすぎているのだ。もう少しはっきり言ってしまうと、ドラクエだとかFFの影響がでかすぎる。

だから、どの作品を読んでも同じような世界観に感じてしまうのだ。当然、それが物語に没入するための敷居を下げているというメリットを生み出していることも否定はしないが、作品の一つ一つを無個性に感じてしまうこともあり、一長一短だなあと感じる次第である。まあ、優れたテンプレートが存在する時代に、その流れを無視して世界観を作り出すというのは難しいのかもしれない。自分もファンタジー的なサムシングの妄想するときはどうしても「ギルド」だとか「冒険者」だとか「魔獣」だとかそういう世界観になってしまうし。

ちなみに、上記作品を読み終えた後にkindleでおすすめされた「ウィザードリィ日記」というエッセイも読んでみたが、こちらも80年代当時の空気が色濃く感じられる素晴らしい作品だった。

残業

いくつになっても慣れないもの。

ビールの苦さと深夜残業。

残業の何が嫌って、帰るとすぐに寝る時間になってしまうところ。仕事して寝てまた仕事って……僕はいったいぜんたい、何のために働いているのだ?

まあ、経験上、一番つらいのは月曜日で、明日以降は今日よりもストレスを感じることなく残業することになるのだとは思うのだが。

せめて、毎日2時間くらいは自由な時間を持ちたいものだな。

再生

久々に更新する。

これを機にブログのタイトルも更新して心機一転。

だれが読んでいる訳でもないこのブログだが、だからこそ人の目を気にすることなく書き綴ることができる。

畢竟、僕が文章を綴るのはほかでもなく自分自身のためなのだ。

文章を書くにあたって、他者の目というものは極力気にしないほうがいい。

いや、これが小説であればそこに他社の目というのは介在して当然だし、最初からそのあたりを意識して文章を組み立てる必要があるのだけれど。

けれどもこのブログはまあ、備忘録もとい備忘ログである。ログというからには脳内から抽出した思考をあるがままに文章に落とし込むのが肝要であって、ゆえに他者の目を意識した文章にはなりようもなくて当然だ。

ほらね、もう文体も表現もすべてがぐちゃぐちゃだ。思ったことをそのまま書き綴っているだけなのだからそれで当然なのだが。

ともかく、最も重要なことは更新を続けることだ。そのためには文章を書くという行為を限りなくハードルの低い行為にしなければならない。今の僕にとって必要なのは、書き続けるというその一点なのだから。

その先に待っているものが何かはわからないけれど、ひとつだけ言えることは、文章を書いている自分はそうでない自分よりも少しだけマシということだ。

まずはリハビリを完遂する。適度な量の文章が書けるようになったら、その次のステップに移りたいと思う。その意思だけは捨てていない。

それがいつになるのかは皆目見当がつかないけれど。

しかしまあ、僕の脳みそは思ったよりはさび付いてはいないらしい。この調子であれば、思考を垂れ流しにするだけで千文字程度はゆうに綴れそうな勢いだ。

ーーこうやってすぐに調子にのるからいけない。先ほどもいったが、大切なのは文章を書くにあたってのハードルをできるだけ低くすること。

とりあえず、今日はここまで。

久々に書いた割には、文章のテンポは悪くない。

郷愁

佐藤光男(36)という架空の男に成りすまして俺はフェイスブックに登録した。

理由は言うまでもなく、遠く過ぎ去った時の向こうにいる知り合いの情報を得るためだ。俺はフェイスブックをするような柄ではないし、そもそもフェイスブックをする資格というかドレスコードのようなものを有していない男なので、実名で登録して過去の友人にメッセージを飛ばす訳にはいかず、佐藤光男(36)という架空の身体を借りて電脳の旅に出た。

かつて俺は、フェイスブックというものに妙に敵愾心を抱いていた。それは俺が陰キャラであることと関係がないわけではないだろう。インターネット上にはSNSが数知れずあるが、フェイスブックというのはそのなかでも一際鋭い輝きを放っていた。それはリア充が放つ特有の光だ。その光の束に当たらないように俺はこれまで電脳世界での旅を続けてきたし、これからもそうする予定だった。

ではなぜ俺は今回仮初の存在を使ってまでフェイスブックに潜入するに至ったのか。それは一言で言ってしまえば好奇心に他ならない。好奇心は猫を殺すということわざがあるが、この場合俺はまさしく猫であった。そして同時に佐藤光男(36)でもある。

実際のところ、フェイスブックに潜入して俺が思ったのは「案外眩しくないな」ということ。いや、皆充実した生活を送っているようには見えた。実際の生活はともかく、このSNSの中ではみんなうまく着飾っているというか、写真だとかメッセージだとかそういう小道具を上手く活用して、それぞれがそれぞれの人生を謳歌しているような印象を受けた。ただそれは俺が当初抱いていたフェイスブックの印象とは少し外れていて、極端な自己顕示欲だとか承認欲求とか「ウチらマジ最強」みたいなノリの世界ではなく、思ったよりも日常的というか平和で角の無い光に満ち溢れていた。

高校の同級生もたくさんいた。ひさびさに見る彼らはやはり学生時代よりも時間がしみ込んだ顔をしていて、けれどあの頃と何も変わっていなかった。

俺はふいに郷愁の念に襲われた。俺にとって高校時代というのは本当に良い時代だった。俺は当時から捻くれていていつも日陰にいるような人間だったが、それでも人並みに青春を謳歌したと思う。部活も頑張ったし、恋もした。告白すらもできないような臆病な感情だったが、今となってはそれすらも懐かしい。時間は過去を美しくする。それはきっと、つらい思い出だけを風化させてくれるからなのだろう。マクスウェルの悪魔のように。

いつかまた、彼らに会いたいと思った。