備忘ログ

メモ以上日記未満

共鳴世界の存在論

最近ふと鏡を見たときに、「オッサンになったなー」と感じた。とはいえ俺はまだ若干24才でしかないので世間一般からすればまだまだ若者の域を出ていないのだと思うし、もう少し年配の人たちからすると大学4年生くらいのヤツが「かーっ、新入生若いわー。俺もうオッサンだわー、かーっ」って言ってるのとたぶんニュアンス的には同じなのかもしれないが、それはともかく、他ならぬ俺自身の主観として、自分の顔から若さが失われていくのを感じている次第である。

具体的に言うと、肌なのだろうなやっぱり。いやまあ俺は別に若い頃から肌が綺麗というタイプの人間では無かったのだが、それでもやはり学生時代というのは肌がツヤツヤだったのだなあ、と現状と比較して逆説的にそう思う。あと髪質も。学生時代からずっと同じような髪型で通しているのだが、最近は髪がパサついたり上手くまとまらなかったりするので、何となくイイ感じに髪型がまとまらないものだ。やはり髪型というのは年齢を経るにつれて変えていく必要性があるのだなと思う。女の子みたいに髪を伸ばしてても似合うのはせいぜい高校時代までだろう。20を過ぎると男女の性差というのが如実に見た目に出てくるので、それまで中性的なキャラで通してた人はその辺りで外見的なマイナーチェンジが必要になってくる気がする。

そんで、そういう忍び寄る「老い」の影に俺自身が恐れ慄いているのかというと、実はそうでもない。というのも今のところ老いの影響は外見的な特徴(それも極一部)に留まっており、健康的な面での影響というのはほぼないからだ。それに加えて自分は別に若いころからイケメンとして鳴らしていた訳でもないし、ようするに老いによって目減りする資産がある訳では無いのでその辺りは杞憂である。逆に言えば、学生時代は外見的な面で色々と恩恵を得ていた層の人たちは、俺と同じくらいの年齢になってから結構苦労していたりするのかもしれない。

人は見た目が9割」なんて本が一時期売れていた気がしたのだけれど、これに対して俺は全面的に肯定の立場に立ちたい。というのも別に不細工のイケメンに対する僻みとかそういうんではなくて、実際のところ外見的影響というのはかなりデカいと思う。まあ例えば2ちゃんなんかだとこれが「※ただしイケメンに限る」なんて風に表現されているのだけれど、まああれはあれで行き過ぎたルサンチマンだとして、しかし現実問題、そういった主張があるというのも無下には出来ない。

人間というのは俺自身も含めて、自分たちが思っている以上に外見という評価軸に対してシビアだと思う。そんで皆、心のどこかでは薄々そういったある種残酷な事実に気付いていることだろう。俺が猫を好きなのは奴らが外見的に可愛いからであり、同様に虫を嫌ってるのは奴らがキモいからなのである。とまあこれは極論であって、別に人間関係に限って言えば我々は決して外見という一要素のみに限定して友人を作ったり、恋人を選んだりしている訳ではないのだが、しかし依然としてその人への評価に占める外見の割合はでかい。これはきっと、「分かりやすい」のに起因しているのだと思う。内面的特徴なんているのは一目でわかるものではない。むしろ一目でわかるものというのは其れ即ち外見の事を指している。

だからイケメンとか美少女に生まれた人というのは、正直それ以外の要素が全く等しい普通の人と比べたらよっぽど生きやすいと思う。僻みとかではなく、本当にそう思う。ただここで大事なのは、外見というのは加齢に比例して目減りしていく魅力であると言うこと。年を取るにつれて人間の魅力というのは外見から内面にシフトしていくと思われるので、若い頃に外見的に優れていることにかまけて内面的に成長しなかった人間というのは歳をとってから苦労するのかもしれない。

 

というイケメンになれなかった男の僻み

ようやく向こうの世界の俺にも鼓膜が実装されたらしい

二宮飛鳥という少女にガチ惚れしてから早くも二年以上の歳月が過ぎ去ろうとしているが、ついに先日、彼女にボイスが実装されたわけ。んでその声がめっちゃ可愛い。正直モバマスの声優というのは当たり外れが大きく、なかには「うーんこれ全然合ってないんじゃね」と首を傾げたくなるようなアイドルもいたものだが、こと二宮飛鳥については「だるだる系」「ウィスパーボイス」という俺Pが求める二大要求を完全に満たしており、声質こそ予想していたより若干高いと思われたものの、でも良く考えてみると彼女はまだ14才の中学生なのでこれくらいのトーンのほうが現実味が合っていいのかな、なんて思った次第である。つまり満点の声優さんチョイスなのであった。ちなみに中の人も飛鳥と同じく個性的な方なようだ。ちょっとggってみたら毀誉褒貶相半ばといったところだった。

しかし今回の飛鳥、ノリノリである。前編の「ボクらが生きるセカイは、残酷なくらい、巻き戻しが出来ないレコードさ」から始まり、後半では「14才にしては、少しデカダンスな思想かな」「キミとボクはオトナになることを求められてしまった、ロストチルドレンだから」などと、アクセル全開である。かくいう俺も現役の中二病患者であり、且つ彼女の言動を逐一追っかけていた立場な訳だが、それにしたって今回の飛鳥の科白はちょっと背筋がぞわぞわした(褒め言葉)。ちなみに前編の訳は「バレンタインという世間の風潮に乗っかるのは嫌だけれど、しかし世間の流行に叛逆するのもこれはこれで癪だ。そういう訳で誰かにチョコを渡そうと思ったのだけど、せっかくだからキミ(俺)と一緒にバレンタインを楽しみたいんだ、どうかな?」と言った感じだろうか。くっそかわいいじゃねえか。チューしたいわこれは。メンドくさい科白話している途中にチューして頭真っ白にさせたい(パトカーの音)。

それにしても特訓前の彼女のソックスは案の定ズタズタである。以前デレステのルームの科白で「ソックスを鋏で切るのは楽しかったな……」というようなのがあったと記憶しているので、恐らく今回も自分でズタズタにしたのだろう。楽しそうに作業しているところを考えるとすごく微笑ましいと思いました。あと特訓後のヘソね。あんだけ重ね着しててどうしてヘソだけ出てしまうんだろうと。あ、俺みたいな駄目な大人が興奮するからか、なるほど納得。

 

それにしても飛鳥のすごいところは、あれだけ痛々しいのを自分で自覚しながら、その上で言動を続けているところだよな……。「巨大な敵に立ち向かうノミ……これは『勇気』と呼べるだろうかねェ……ノミどもは『勇気』とは呼べんなあ」という科白がジョジョの第一部にあるのだが、ようするに同じ中二病と言えど、それが痛々しいのを自覚しているかいないかでは性質が全く異なってくると思う。だいだいの人間が中二病に罹患してしまう時というのは往々にしてそれを自覚していないことが多く、それ故に、彼ら彼女らにとって中二病=黒歴史となってしまう。んで俺はというと、そういう中二的なカッコよさを好んではいたのだが「それを楽しむことが一般的には恥ずかしい事」というのを心のどこかで認識しており、学校とかで痛々しい言動をすることは無かった。黒歴史を生産しないで済んだ代わりに、俺はあの頃の「本当の自分」を裏切ってしまったカタチになる。

飛鳥はというと、先程も言った通り自分の痛々しさを自覚しており、その上でそういう自分を否定せず受け入れている。これってめっちゃ凄い。メンタルが。俺も今でこそ「好きなモノは好き」と一目をあまり気にせず話せるようになってきたし、他人が何と言おうとありのままの自分を肯定できるようになってきてはいるのだが、学生時代というのは自意識というのが肥大化しているので、普通の学生がそういう「一般的に受け入れられないモノ」を好きと公言するのはハードルがすげえ高いと思う。だって、虐められるし。好きなモノを好きというだけでいじめられるくらいには閉鎖的な場所だと思うよ、学校って場所は。

んでまあさらに話を脱線させると、「世間では良い顔されないけど俺はこれが好きなんだ!」っていう趣味とか嗜好を持っている人ってのは、結構器がでかい人が多いんじゃないかって思う。例を挙げると「課金」とか「萌え」とか「ゲーム」とか「パチンコ」とか、「水商売」とか「同性愛」とか「タバコ」とか、そういうやつかな。マイノリティで理解者が少なくて、ともすると社会から排斥されそうな要素を持つサムシングに属する人たち。

こういう人たちっていうのは、自分たちが世間的に良い顔されていないというのを理解しつつそういう世界に入り浸っている訳で、これって裏を返すと他人に対して寛容とも言える。てか人間なんて皆どこか狂っているんだから、普通に生きてりゃ真っ当に言えないような趣味とか嗜好の一つや二つ、有って当然だろうよ。むしろ何も後ろめたいモノがない人間なんて、薄っぺらい人生を送ってると思うの。そういう人たちって常に周囲の評価だけを気にして生きてきたんじゃないのかなあ(暴論)。

 

とまあ最後のは流石に極論だけど、おそらくは自分の心のどこかにそういう「普通でいたくない」みたいな感情が渦巻いているのだろうね。オリジナリティというのか、そういう欲求。自己顕示欲というものは殆どない性格だと思っているんだけど、「つねにオリジナルな自分、ユニークな自分でいたい」という欲求は結構強いのかもしれない。だからこそ強烈なオリジナリティに惹かれるのだろう。二宮飛鳥を好きなのもたぶんそこに起因している。まあ単純に俺がボクっ娘スキーで太ももprprしたくて猫目大好きで中二病っていうのが理由なのかもしれないけど。うん、たぶんこっちが理由かな。

 

さて、明日2/3は飛鳥の誕生日なので久々にSSでも書いて投稿しようと思ったのだけれど、さすがにそこまでの気力はない。文章量的にはこのブログ3本分も書けば十分なんだけどSSの場合ストーリーも練らないといけないし。うん、今週末に書こうか……

そういう訳で今日はさっさと寝て明日の仕事に備えるとしよう。

 

一次創作にはかなりの熱量が必要になる

そりゃあ俺だって、学生時代からずっと駄文を書き連ねることを趣味として生きてきたわけだから、小説家とか文筆家というモノに憧れがないと言ってしまえば嘘になるのだ。

学生時代から外に出るのも他人と事務的な会話をこなすのも嫌いで、代わりに部屋に閉じこもってはせっせとブログなりSSを書いて楽しんでいた訳だ。文章を書くのが好きだからこそ、文章を書いて生計を立てたいと考えたことはあるのだ。

けれど実際のところ小説家になるためには当然ながら小説を書かねばならない。で、俺はどう頑張ってもそれが出来なかった。物語を創作すること自体が出来ない訳ではないのだ。高校時代から、ある作品の二次創作のホームページとか作って結構な数の文量を書いていたし、大学に入ってからも男女SSとか、あるいはアイマスのSSとかを趣味で書いていた。けれど、自分でいちから世界を構築し、キャラクターを構築し、そして読者の感情を揺さぶるような(この場合どんな感情でもいい)物語を構築することが出来ないのである。いや、まるっきりプロットを練れないのではない。毎日のように布団に入ってから妄想とかしているし。今でも。むしろプロットは作れるのだが、それを物語に昇華できないのだ。

で、その時俺は考えた。どうして自分は文章を書くのもプロットを書くのも好きなのに、最終的には物語に落とし込めないのか、と。そんで一応の結論として、自分には熱量が足りないんじゃないか、という結論に至った訳。

 

実際のところ、小説の執筆という作業はかなり骨の折れる作業である。世界観の説明とかキャラの説明とか、そういうのも全て作品の中で済ませる必要があるし、これは結構面倒である、SSや二次創作の場合、皆同じ作品の世界観やキャラクターをもとにしてあるので、改めてそのあたりの説明の必要がない。だから作者はさっそく書きたいテーマに取り掛かれる。一次創作の場合は、その辺りに余計な手間が生じてしまう。だから普通の書き手は「ああもういいや、めんどくせえ。二次創作にしよ」ってなるのだと思う。そしてある一定以上の熱量を持った作者、つまり「面倒だけど俺はその上で書きたいものがあるんだ!」っていう選ばれし人が一次創作の世界へ足を踏み入れるのだと思う。んで俺はそういう人間ではなかった。それに気づいた時は結構つらかった。

まあ、俺の場合、ある種の逃避的行動としてブログとかSSを書き続けてきたというのがあるし。つまり現実では何物にもなれない人間だから、せめてネットでは何かの創作に携わってみよう、みたいな。負のモチベーションに引っ張られてここまで来たわけだ。そういう意味では、恐らくは本質的に「書き手」ではないのだと思う。

しかしまあ、色々と講釈を垂れてみたものだが、どんな経緯でこうなったにせよ、今の自分が好きで文章を書いているというのは紛れもない事実なのであるし、その辺りが自分の個性でもあると思っているので、文章を書くという行為自体はこれからも意識的に継続していきたいと思うのだ。ブログ書いたり、SS速報とかvipにSS上げたりして。
んでそのうち、「色々書くもの」のリストのなかに一次創作も入ればいいなあ、なんて思っていたりする。今の自分には小説家になりたいとかいう思いは全くないけれど、そういうのとは全く関係なく、単純な夢としてそう思ったのでした。

いつまでも夢を持ち続けられる人間になりたいものだし、また夢を夢のままにしない人間にもなりたいものである。

おざなりとなおざりって似てる

意味も結構似てる。でも違うといえば違う。阿藤快加藤あいくらい違う。

 

ようやく金曜日が終わり週末がやってきたと思ったら既に日曜日の夜である。週末というのはどうしてこう、平日と比べて高速で経過していくのか(単純に平日が5日でえ休日が2日だからだとは言ってはならない)。

とはいえ今週末は俺にしては色々あったほうで、まず、金曜の夜に7時に仕事を終わらせてから同期(とはいっても10も上の人)と近くの焼き肉屋に行き、ハラミを重点的に貪るように食ってきた。俺は基本的には飲み会はキライだが、人付き合い自体が苦手という訳ではないのだ、まあ好きではないのだが。今回のように、同期や年の近い先輩と2,3人でメシを食いに行くくらいであればむしろ楽しめるほうかもしれない。なかなか一人で焼き肉を食いに行くことも無い訳だし。

んで、「日銀のマイナス金利ってどうなんすかね~」とか「最近ドイツの銀行やばいらしいっす」みたいな、おもに経済系の雑談を肴にビールをぐいっと。二人とも株をやっているという共通項があるので、どうしても経済系のニュースが話題の軸になる。年齢も10才離れているし、俺はゲームとか本とかネットの話が好きだけど(最近はどうもアニメを何本も追っかけるのが辛くなってきた、時間があれば消化したいけど)向こうはそういう系の人間ではないので趣味の話題も合わないし。かといって職場出てから仕事の話はしたくねえし。そういう訳で経済の話。俺、実は経済学部出てるし(経済に強いとは言ってない)。

そういうくだらない話に管を巻きつつ、俺はあまりお酒に強い人間ではないのでせいぜい2杯くらいビールを飲んで、あとは野菜盛りとかひたすら焼いて食べていた。あまり胃が強い人間ではないので、肉ばかりを食べる訳にはいかないのである。今回の食事は食べ放題ではなかったから良かったものの、友人たちと焼き肉屋に行くと、小食ゆえに十中八九自分が一番最初にリタイアすることになるので、男として情けないやら量が食えなくて悔しいやらで結構ミジメな気持ちになるのだ。これが女であればまあ可愛げもあるのだろうが、24の男からするとなかなかの凌辱である。あ、屈辱か。そして小食というのは大食いの奴らからすると理解の及ばない概念であるらしく、「ダイエット中なの?」とか「男はいっぱい食べて体力付けないと~」とか言われる事もしばしばなのだ。ふざけんな出来ることなら俺だっててめえ等みたいにたらふく食いてえわ。メニュー表指さして「ここからここまで全部ください」とかやってみたいわ。まあそんな人見たことなんだけどさ。

このどうでもいい焼き肉の話題から無理やり結論のようなものを導くとすると、ええと、つまり人というのは常に自分の体質を中心に考えてしまうものであり、なかなか他者と自己の体質に差があるということが理解できない生物だということではなかろうか。さっき言ったように大食い族の奴らからすると、俺のような小食族はあるいは「もっと食えるのに色々な理由で(ダイエットとかキャラ付けとか健康とか)食わないだけ」と思われているのかもしれないが、それは真実からは対極の位置に存在しており、俺は別に何か理由が合ってメシを多量に食わないのではない。単にメシを食うだけのキャパがこの胃に存在しないというだけなのだ。ちなみにキャラ付けについて補足すると、年配の方々には理解できないかもしれないが、今の時代というのは女だけではなく男もカワイコぶることが往々にしてある時代なのである。別にホモという訳ではないのだろうが、ナチュラルに萌え袖したり、スイーツ詳しいアピし始めたり、いわゆる女子力を存分に発揮する系男子が結構いる。んで、女子が小食アピするのと同じようにアピールしだす男も実際のところいるのだ。最近は男女の性差の垣根がだんだん無くなって来てるような気がする。男の女化というか、女の男化というか。あと数百年もすれば人間も雌雄同体になったりしてるかもしれないぜ。それはないか、進化のスピード的に。……しかし、戦争中であれば男には男らしさが求められてしまう訳で、中性的な男がモテる今の風潮というのは平和な時代を表しているようでそれはそれでいいのかも。

話が脱線事故を起こし過ぎである。JR北海道か! ちなみにこれについてはJR北海道に全面的に非がある訳ではないんじゃないかという話に持っていこうといたが、そうなると更に話が脱線するのでそれはまた別の機会に(たぶんそんな機会はこない)。

ええと、体質の差の話である。体質の差というのは先程述べたように大食いか小食かという差異の他にも、例えば太りやすい太りにくいという差異もあるだろうし、朝強いとか弱いとかそういうのもあると思う。だから自分が太りにくい体質だからといって太っている人を見てそれだけで「だらしない」と思う事はおそらく偏見に属してしまう類の感情だと思うし、朝弱い人に「意志が弱いだけっしょ」とかいうのも同様だ。ちなみに俺は朝がめちゃ弱い。寝起きは身体が死人のように冷えているので動くのがすごく辛いし、せっかく目覚めても胃が死んでるので朝はなにも食えない。朝起きると毎日20分くらい風呂に使って体温を取り戻し、その後ヨーグルトだけ食って出社してる。

つまりその、みんな違ってみんな良いみたいな博愛主義者的発想はどうにも信用がおけないのだけれど、そこまでではなくとも、人間にはそれぞれ体質的に結構な差異が存在していて、誰もが皆自分のように動いている訳ではないということを社会を構成している各々が頭の片隅に入れて生活していくことで、社会というものが少しばかり柔軟な組織になっていくんんじゃねえの、と思った次第でした。

 

週末の過ごし方の話をしていただけなのに、思えば随分遠いところまできたものだ。悪い癖である。

中二病発症して早10年

さっきまでアイドルマスタープラチナスターズのニコ生を観ていた。PS4で発売される今回のアイマスはPVを見る限りこれまでの作品とはキャラデザの方向性がかなり変わっていたように思われた。簡単に言うと、目が大きくて全体的に垂れ目で、やたらとロリロリしい。この辺りの恩恵を受けているのが亜美真美、やよいらへんのロリ組で、正直今回のキャラデザにおけるこの3人はめっちゃ可愛いと思った。ロリコンじゃない俺がそういうのだから相当可愛いと思う。俺の数少ない友人(亜美真美P)はロリに目がない人間なので、今回のキャラデザ変更には大いに沸いていることであろう。

一方、真Pの俺にとっては今回の真はちょっと可愛すぎる。これは褒め言葉のようで褒め言葉ではないのだ。何故なら真の魅力は格好良くて可愛いところにあるからだ。個人的には無印真がかっこよさ5:かわいさ5だとすると、2真はかっこよさ4:かわいさ6で今回の真はかっこよさ3:かわいさ7くらいに思える。いや、あくまでデザインだけの話ね。ちなみにアニメは6:4くらいだったイメージ。

真が可愛いのはすごく嬉しいのだが、可愛すぎるあまり格好良くなくなってしまうとトータルでポイントはマイナスになってしまうのだ。この辺り菊地真というキャラは非常に難しい。一口で真Pといっても「真ちゃんは王子様だよ派」「やっぱりお姫様だよ派」「電波系アイドルまこまこりん最高派」「ちんちんついてたら最高派」「格好良くても可愛くてもどっちでもいいよ派(共生派)」と、あまりに多くの派閥が存在している訳だし。なお、現在の最大派閥は共生派である。かくいうこの俺もそうさ

そんな訳で、あまりに可愛らしいキャラデザになってしまったことでこれまでのような格好いい真が見られなくなってしまうのではないかと一抹の不安が払拭できないのが正直なところ。でも可愛い真もそれはそれで最高だな! 不安は払拭された!

 

それにしても今回のデザインで一番恩恵を受けているのは実は美希なんじゃないの。PVのあの子突出して可愛かったよ? 髪の表現とかもう最高。春香さんも可愛いけど、表情がモバマスの今井加奈ちゃんっぽかった。若干げっ歯類的な。

あとは響と貴音も良かったね。つまり皆かわいい! 仲間だもんげ!

 

あと、もしかしたら今日の放送で二宮飛鳥の声優とカバー曲が発表されるのかと思ったけど、そんなことは無かったよね。こりゃまた次回かな。発売は4月なので、そろそろ曲自体は発表してくれてもいいと思うんだが。

ちなみに自分はカルマに一票入れました。でも別にカルマじゃなくてもいいんだ。岸田教団とか椎名林檎とかエゴイストとかあるいはサンホラとか、そういう中二系の曲であれば個人的には何でもいい、いや、飛鳥が謳ってくれればそれだけでもう充分なんだよ(やれやれ、キミは全く仕方のない奴だね)。

あと曲もそうだが、これまでのボイスに早く声つけて欲しいんだよ。飛鳥の痛い科白を聴いて気持ち悪いニヤニヤを浮かべながら通勤したい。

おしぼりで顔を拭くような大人にはなりたくなかった

しかしなってしまった。社会人になってすぐのゴールデンウィークぐらいにはもう既にそういう癖が身に付いてしまっていたような気さえする。女騎士並の即堕ちであった(実際のところ触手には勝てないだろうよ、アレすごく気持ちよさそうだし)。

しかし学生時代の自分自身よ、申し開きの機会を与えてほしい。まだまだガキの貴様にゃ理解できんだろうが、大人というのは毎日すごく大変だ。だから汗だってめっちゃでるし、仕事終わりの時間には汗で肌がベタベタなのである。そして飲み会というのは大抵仕事の後に開かれる。ようするに、これ以上ない程に肌が汗でベタついている時間帯に、目の前にあるのはアツアツのおしぼりだ。これはもう、本能的に顔をごしごししてしまっても仕方ないと思わないか? ……何、思わないって? ……。そうか、そういえば貴様は昔から生意気なガキだったな……

 

話は鳥のように飛ぶが、今朝は出勤しながら「2次元において美少年に劣情を催してしまうのって冷静に考えるとこれ別に俺が悪いんじゃねえよな」ってことを考えていた。考えながら吊革に掴まって揺られ続けていた。全然冷静ではない。

つまりはこうだ。2次元というのは3次元を微分したものなので、おおよそリアルにおいて都合の悪いものというのは描写されていない。それは例えば毛穴とかシミとかたるみとかであって、そういう都合の悪いものというのは基本的に描写されないのである。そんなものは微分された際に消去されている。つまり2次元においては男も女も分け隔てなく肌がめっちゃ綺麗ということ。加えて、顔の形状的にも美少年と美少女というのは大差ない。アニメや漫画において美少年を美少女を明確に区別するのは、顔ではなくて体型だったりする。簡単に分けると、男の子は直線で女の子は曲線。

でも個人的にはそこまで巨乳とかに性的興奮を覚えるタイプではないので、実際のところ身体のラインというのはぶっちゃけどうでもいい。そうなってくると判断要素というのは自ずと顔に絞られるという訳で、さらに言うと俺はショートカットでツリ目(あるいはジト目)の子を非常に好んでいるという性質上、そのような外見的特徴に該当する美少年キャラが好きになってしまうことが多いのである(男の娘ではなく。男の娘というのはアレは単に女の子に設定としてちんちんを装着させているだけなのであって、ここでいう美少年とは別のジャンル)。まあ男の娘も好きなんだけどね。ついでに普通に女の子も好きなんだけどね。つまりは博愛主義者。やっぱり平和がNo1

一時期(高校生くらいの時)は「男キャラにエロい感情抱くとかやべえ俺ホモかも」とか結構悩んでいる時期もあったが(LGBT差別してるとかそういうんではなく)、実際のところ、あくまで女性的要素を好んだ上でその男キャラを愛でているのであり(2次元の男キャラというのは女性的要素を内包してることが多い)、ようは普通に女の子が好きである。まあ高校時代はよくBLの二次小説とか漁ってたから腐男子の才能はあると思うけど。しかしあれだ、腐の書く二次小説というのは案外読ませるものが多い。濃厚なエロは流石にキツイが、友情系のだったら普通に良作が多いと思う。性質上決して表世界に出ることは無いのだろうが。

 

「いつか世界を救うために」2巻を読んで寝る。クオリディアコードのアニメ化が今から非常に楽しみなのでした。