備忘ログ

メモ以上日記未満

スパゲッティは箸で食う派

残業して食事作るのメンドイからコンビニ寄る→450円くらいのスパゲッティ食いたくなる→「いや、スパゲッティなら簡単に作れるし自炊したほうが美味しくね?」ってなる→結局コンビニでベーコンとパスタソースだけ買って自炊

という流れが多すぎて困る。いや、最終的に自炊出来てるから結果として食費浮いてるからいいんだけど。

それにしてもスパゲッティというのは単語として長すぎるし喋るのもだるい。いやまあだったらパスタという単語を使えばいいだけなのだが、パスタというのは一周回ってダサイというか、恰好つけたがりな気がして、どうにも自分にとって使い勝手が良いワードではないのだ。絶対俺と同じ思考回路であえてスパゲッティって呼んでる奴いるだろ。言葉一つとっても無駄に着飾るのが嫌という俺と同じ感性の人間がこの世界には一定数存在するはず。

 

昨日の夜は「でたまか」というラノベ的なサムシングを読んで過ごしていた。作者は鷹見一幸さんだ。個人的には宇宙士官学校から彼に嵌ったのだが、世間的には(というかオタク的には)艦これのノベライズのほうが有名かもしれない。彼の作品は何と言うかよくも悪くもすごく純真だと思う。青臭いというか予定調和というか。物語にリアリティというものを求める層には彼の作品は全く受けないと思うし、物語にドラマを求める人は結構嵌ると思う、ちなみに俺はすげー好きな作家である。というか嫌いな作家はあまりいない。良いところは、余計な文学的表現を徹底して削いでいるところだろうか。いや文学的表現というのは大好物ではあるのだが、ストーリーを進展させるという一点においてはそういう表現というのは冗長であるのだ。この二つはたぶん殆ど両立できない要素なのである。地の文の表現とか綺麗な比喩とか、そういうのを重視してしまうとどうしてもストーリーがおざなりになってしまうんじゃないか、とそういう印象があるのだ。村上春樹なんかも文章はすごく綺麗で好きだけど、ストーリーはだらだらしててよく分からないし。それで、鷹見一幸の作品はそういう余計な文学表現とかが一切ないので淡々とストーリーが進んで面白い。そういう意味では彼の作品は脚本っぽいのかもしれない。地の文が少ないかわりに会話文の一つ一つが長いし。青臭い科白(褒め言葉)のオンパレードだし。けどまあそういう淡白な作品なもんだから、「ザ・文学」ってのが好きな人にはオススメできない。B級映画とか好きな人にはオススメ出来る。

それで、昨日の夜10時くらいにブログを更新してから「でたまか」を電子書籍で読み始め、一冊で読了するつもりがどうにも抜け出せず、第一部が終わる3完まで一気に読了してしまった。眠りについたのが2時くらいだったので今日も昨日に引き続き仕事が捗らなかった。俺の仕事は一体いつ軌道に乗るのだろう(と、きっと俺以上に係長がそう思っている)。それで昼間は「今日はさっさと寝るんだ……寝るんだ……」と思っていたはずが、この時間になると完全に脳も冴えわたっているため、さっさと寝ずにこうして駄文を製造している次第である。思うに根っからの夜型なのだ、俺の脳は。もう夜も10時だからそろそろ布団に入らないと明日朝後悔するはずなのに全然眠くないし。けどまあ、そろそろ仕事も頑張らないと今後休日出勤とかも有り得てしまう訳で、そのためにはさっさと寝て脳を休め、仕事の効率を上げる必要があるのだ。という訳で今日はだらだら駄文書くのも程々にして、さっさと寝るとしよう。

優先順位が肝心

はあ、読むんじゃなかった。「持たない幸福論」なんて読むんじゃなかった、それも日曜日の夜に。

いや誤解の内容に言っておくとすごくいい本だったさ。著者のphaさんの中庸さにはびっくりした。あの人は多分全ての価値観を平等に捉えられているんだな。世間的評価とかは一切気にせずに、自分の理想のみを追い求めている感じ。パラダイムシフトとまではいかないけど、人生ってのはそれを観測する人によってこんなにも別物に写るものなのだな、と当たり前の事を今更ながらに感じた本だった。びっくりするくらいにフラットで、それでいて、いやそれゆえに斬新な世界観を持っている人だなと思った。

でもいい本だったけどさあ、月曜日を控えた夜に読む本では無かったよね。おかげで今日、仕事のモチベーションめっちゃ低かったもん。「俺は楽していきたいのにどうしてこんな辛い思いして働いてるんだ」って思いながら事務作業とかやってたら午前中が終わってた。当然仕事は殆ど進まず。んでまた自己嫌悪。

 

思うに俺はさ、口では「何も要らねえからただダラダラして過ごしたいなあ」とかいいつつ、実は色々と現在の生活から捨てられないモノがあるので、嫌々言いつつ働き続けているのだと思う。曰くそれは世間体とか、金銭的安定とか。

でもそれって俺が本当に求めているものか?と言われるとそれはちょっと違う気がする。世間体なんてものは、持っているからそれを捨てるのに躊躇しているだけであって、俺が本質的に求めているものではない。だって俺、他人からの視線とかあまり気にしない方だし。自分がラクなら良いや、みないなところがある。そこは俺の良いところでもあり悪いところでもある。

じゃあ俺が本当に求めているものはなんだ? 自分が生活していく上でどうしても必要なモノっていったい何なのか

 

まず、一番大事なのは食事だろう。衣食住っていうけど、衣はまあランニングコストがかかるモノではないし、食と住はどっちも必要だけど、食はないと生物的に死ぬし。

んで、これに関してはだいたい月に3万円程度あればいいかな。一日千円として、だいたいこれくらいの額があればそこそこ満足した食生活を送れると思う。大学時代もこんなもんだったし。まあ切り詰めれば2万とかいけるんだろうけど、無理せず自分が暮らせる額と考えるとやっぱり3万くらいか。

 

次に住所ね。これは出来れば独り暮らしがいいのだけれど、本当に本当に一人暮らしじゃないとダメなのかと言われるとそういう訳でもなく、シェアハウスとかでもいい。家賃安く済むし。常にだれかと一緒にいるというのは疲れるけど、楽しそうでもある。自分はこれまで寮生活とかしたことなかったし。エロい姉ちゃんの隣室住みたい

 家賃はだいたい、3万円くらいかな。

 

そんで光熱水費プラスネット代。これがだいたい月1.5万くらいか?ネットは絶対に必要かと言われると人によってはそうでもないかもしれないが、俺にとっては絶対必要だ。それは知識欲を満たすアイテムでもあるし、自分が最低限発信するためのアイテムでもある。

 

まあこの辺が生きる上で絶対必要な物か。占めて7.5万。結構するなあ。でもたぶん今の生活をずっと続けるよりも、10万位稼げるアルバイトをして暮らす方が精神衛生上すこぶるいい気もするんだよな。あくまで短期的にはね。長期的には勤め人というのは結構強くて、保険も安いし年金も加入できるから。

んでもって自分の場合、だいたい15万円くらいあれば、月々10万位で十分満足に暮らせて、そのうえ5万位貯金して生活できる気がする。今は月収が25万位だけど、ストレスが半端ないから食事とか買い物で発散しようとして散財しまくってるし。金貯めるために仕事してるのに、金使って仕事のストレス発散してるとか意味無さすぎワロタwwwワロタ……

 

そんで今はお金の話だけをしてきたけどあ、お金に関しては結構どうにかなる場合が多いと俺は思う。本当に金が無ければ働くしかないし。なんだかんだいって、巷には職が溢れている訳だし。

どちらかというと「承認欲求」とか「自己顕示欲」とか、そういうのとどう上手く付き合っていくかというのが、豊かな人生を過ごす上で大切なのかもしれない。

例えば年収200万でも、趣味で絵書いてpixivで人気だったり、草野球で4番だったり、

趣味で写真やってて賞取ってたり、そういう、人生のどこかで「認められている人」っていうのはこれはすごくいい人生だと思う。率直に言って憧れる。逆に年収1,000万くらいあっても、毎日家と会社を往復するだけ、みたいな人間は本当に幸せなのかな、と思ってしまう。いやそれでも後者は後者で金銭的にゆとりがあるだけマシか。ブラック企業に勤めていたりすると、年収200万なのに毎日家と会社を往復するだけ、っていうケースもあるのかも。そんでこれは一番歩みたくない人生。それでいて3つの選択肢のうちでは最も俺の現状に近いケースでもあるのだが。

 

まあ、アレだ。俺の場合長文を書くくらいしか能がないもので、承認欲求得ようと思ったら素直に文章書くわけしか無い訳だし、そのためにもブログというのは出来るだけ更新していきたい。だれに読まれるでもないけど。しかしまあブログというのは独りよがりになりがちなのであまり文章力というのは身に付かないけれど、長文を綴る力というか基礎体力というか、そういうのは結構鍛えられる気がする。

何故読書は夜しか捗らないのか

これは俺特有の事象なのか?それともそもそも人体の構造がそうなってるのやもしれぬ。

まあジュンク堂とか図書館行けば昼間でも黙々読めることは読める。でも一番捗るのはやっぱり夜に自分の部屋の布団の上で横になりながら読む時。おかげで毎晩のように就寝時間を逃して朝後悔しているけれども。でも読書は数少ない俺の楽しみの一つだからだいたいのモノより優先されるよね、仕方ない。

もっと言えば、夜中の2時くらいが最も読書に最適だと思うんだよね。今はかろうじて働いているからどうにもそういう生活リズムではいられないけど、大学時代はよく明け方まで読みふけっていた気がする……とか書くとすげー高尚な人間に思われるので補足しておくと、ラノベ読んだりなろう小説読んでただけだからね、たまにはお堅い本も読んだけどさあ。ほんとたまにしか読まなかった。

俺の大学時代というのは2010~2014あたりを指すのだけれど、あの頃の「小説家になろう」は結構面白かったなあ。今でこそ異世界モノ一色だけど、当時は異世界モノとVRMMOモノの二強だった気が。ネット小説界隈ではSAOがアニメ化前から既に人気だったから、その煽りを受けてVRMMOモノが多かった気がする。

んで今、どうして昔と比べてVRMMOモノが減ったかというと、それがよく分からん。あれってまだまだテンプレとして通用する気がするんだけどね。ネットとリアルを融合するような作品とか、VRMMOのスポーツ物にするとか、切り口によってはまだまだ色々と楽しめそうなものなのに、どうにも最近は異世界物一色だ。ちょっと飽きてきた。いやまあ、まだ読んでるけど。

あとついでに小説家になろうの話をするならば、実は軍記物にかなり名作があるんですよね。あまりランキングには登ってこないけど。「レジェンド・オブ・イシュリーン」とか、あれ作者の都合で消されちゃったんでもう書籍でしか読めないけど、あれは素晴らしい作品だったな。しっかり戦争しながら恋愛要素もあった。銀英伝とかデルフィニア戦記とかそういう系が好きな人は絶対嵌ると思うのでお勧めです。

あと個人的に好きなのは「超絶政治闘争学園ノブリス」とか、「俺より強いあの娘を名殴りに行く」とかその辺かな。文章のレベルも高いし、普段一般文芸しか読まない人でも読みやすい作品だと思うので、いわゆる「新文芸」に興味がありながらも今まで手を伸ばさなかった読書家の諸兄には大変オススメの作品です。

 

と、SFBFしながらブログをだらだらと3本も更新しているうちに、いい具合に夜も更けてきたのでそろそろ読書といこうかな。今日はネットサーフィンしてて見つけた「持たない幸福論」という本を読んでみる。著者のphaさんがはてなブロガーで、ふとしたきっかけでブログを読んでみたら人柄的にすごく好きになってしまったので、著作も読んでみるという流れ。

自分の好きな属性についてその理由を考えてみるだけの記事

属性ってあれな、ツンデレ好きとかロリコンとかそういう奴な。

そんで、当然二次の話な。おもに性格的な属性について

 

 

無気力系

該当キャラ:ハッカドール3号(ハッカドール)、冷泉麻子(ガルパン)、フィークラウゼル(閃の軌跡)、ヤン・ウェンリー銀英伝)、多摩(艦これ)、麻倉葉(シャーマンキング)、菊地原士郎(ワールドトリガー)、その他たくさん

 

順番は適当な。思い付いた順に書いた。思いつかないだけでたぶんまだまだいる。

あと該当する属性のキャラクターでも個人的に好きなキャラ以外は書いてない。例えばモバマス双葉杏とか完全に無気力系だけど、俺がそんなに好きではないのでここでは書かない。

さて。無気力系のキャラは昔から男女問わず好きだったなあ。そしてそれは俺だけではないはず。思うに「普段本気出して無いけど、本気出すと凄い」っていうギャップが好きなのだと思う。麻子とかフィーとか、あとヤンもそうだよね。あいつら普段惰眠貪ってる癖に本気出すとすごい。そのギャップに惚れる。基本的に女キャラでもお荷物の子はあまり好きじゃないからね。その点無気力系キャラは結構頼れることが多い。戦闘的には役立たずでも指揮取らせると超活躍したりするからね。つまりヤンウェンリー最高。あと上に書いたキャラの内だと、フィーと多摩に関しては「猫っぽい」ってのもあるかな。無気力だるだる系キャラは猫を彷彿とさせてそれだけで可愛いにゃあ。髪の毛モフモフしたい。ついでにもひとつ付け加えると、俺自身が無気力ってのもある。休日も室内から殆ど出ないし。ロングスリーパーだし。だから単に「自分に似てる」ってだけでそれが好評価に繋がってる気も。

 

まとめ:①ギャップが好き②猫可愛い③自分に似てる

 

 

素直クール

該当キャラ:二宮飛鳥(モバマス)、フィークラウゼル(閃の軌跡)、病院坂黒猫(世界シリーズ)、綾波レイエヴァ)、椎名ましろさくら荘のペットな彼女)、七咲逢アマガミ)、その他いっぱい

 

フィー二冠オメ。でも良く考えたら無気力系+素直クールってもっと流行ってもいいよな。相性すごくいいもん。その上フィーの場合は見た目もめっちゃタイプなのでファルコムに敬礼するしかないですよね。

さて、素直クールはやっぱり自分の気持ちを率直に話してくれるので、その辺りコミュニケーションを取るにあたって妙な駆け引きが存在しないってのがいいですよね。素直クールの対義語はかの有名なツンデレですが、俺はツンデレはそんなに好きではありません。というのも、ツンデレいちいち意図と発言が乖離してしまうので、その辺り毎回読み取るのがメンドイのです。ツンデレキャラというのは基本的にはスペックが高いように設定されていて、しかしその一方で「メンタルが弱く、思っていることが素直に行動に表せない」っていうギャップ(というか隙)があるのがツンデレの魅力の原点なのだと思うのですが、個人的にはあまり響かない。自分が豆腐メンタルということもあり、強いメンタルを持つキャラに憧れてしまうのです。その点素直クールは素晴らしい。「私はキミが好きなのだけれど、それがどうしたの?」みたいな感じでぐいぐい来る。自分の弱点を隠すことなくこっちとコミュニケーションを取ってくれる感じがすごく安心する。自分なんかは疑心暗鬼な性格なので、他者の発言に対していちいち意図を考えたりしてしまうので人間関係に疲れてしまうタイプなのだが、素直クールの場合それがない。むしろメンタル強すぎてこっちが精神的に掌握されている感じさえもあるのだが(「私はキミが好きなんだけど、キミはどう思っているのかな?」みたいな意地悪な質問したり)、それも悪くない。寧ろ好きだ。俺はどうも精神的にMな部分があるので、相手に掌握されている状態、支配されている状態というのがすごく落ち着くのだ。当然それは、大前提としてこちらが信頼している相手に限るのだけど。

あともうひとつ、素直クールキャラが焦ってクールじゃなくなった時のギャップといったらマジツァーリボンバー。当然このシチュは作品に一回使えるか使えないかの伝家の宝刀な訳だが、ツンデレキャラと違い、普段は素直クールなキャラが取り乱したりすると威力がヤバイ。衝撃波が地球を3週くらいする。

 

まとめ:①駆け引きがなく信頼できる②精神的に主導権握られる感じgood③焦った時のギャップたまらん

 

 

ボクっ娘

該当キャラ:菊地真アイマス)、輿水幸子、二宮飛鳥(モバマス)、病院坂黒猫(世界シリーズ)、早川あおいパワプロ)、イエロー・デ・トキワグローブ(ポケスペ)、キノ(キノの旅)、国広一(咲)、土御門夏目(東京レイヴンズ)、その他すごくたくさん

 

ボクっ娘ってなんであんなに可愛いんだろうね。全く同じキャラ、同じ性格でも一人称をボクにしただけですごく可愛くなるよね、あれ超不思議。

有名所だと、ぷよぷよのアルルとかローゼンの蒼星石とかはボクっ娘だけどあまり嵌らなかったな、これはただ巡り合わせの問題で、実際作品に触れてたらすごく好きになってたと思います。

子供のころからボクっ娘が好きだったので「なんで一人称変えただけでこんなに可愛いのか?」って暇な大学時代とかによく考えていたんだけど、ついに結論は出なかった。でも仮説としては色々ある。たぶん俺ってかなり中庸な人間というか、性的に中立な考え方の人間だと思う。あまり「男らしさ」とか「女らしさ」っていう言葉が好きではないし。男も女も一緒でいいじゃん、的な。だから性的な主張が大きい人物、例えば背が高くて筋肉質な男とか、胸でかくて胸元大きく開いてる服の女とか、そういうのは昔から何となく苦手。これは二次の世界でも同様で、巨乳のキャラとか実はあまり得意ではない。性的に消費するのが苦手な訳ではないし、むしろおっぱい最高なのだが、好きなキャラクターにはならない。あくまで性的なはけ口として見てしまうのである。たぶん俺は、性的感情と恋愛感情をごっちゃにして考えることが出来ないばかりか、性的感情が強すぎると恋愛対象として見れなくなるきらいがある。いわゆる「本当に好きなキャラでは抜けない」的な。女の子は好きなんだけど女の子アピが凄いと引いてしまう的な。

所謂「嫁キャラ」には友人みたいな関係を求めているのであろうか。そういう意味ではボクっ娘というのは確かに性的にニュートラルであり、その点が俺に受けているのかもしれない。

 

……と思ったけど国広ちゃんとかめっちゃ性的なファッションしてるしね。ダンガンロンパされちゃってるよね。

うるせえ、とにかく俺はボクっ娘が好きなんだ! ドントシンクフィール! おしまい!

 

やっぱ働きたくないよな

そうなんだ。働きたくないんだよ俺は。いや俺だけじゃない、たぶんたいていの人は働きたくないんだよそりゃ。中には働くのが好きって人もいるよ?職場にはそういう人がいっぱいいる。でも、自分の大学の同期だったり、あるいは購読しているブロガーの人たちの意見を鑑みるに、やっぱり働きたくない人っていうのが大多数いる。まああれだ、はてなで文章書いてる人はちょっと拗らせている人が多いので統計的にはあまり役に立たないが。

でまあ、大事なのはこの後で、働きたくない人の中にも二種類いるんだよな。「働きたくないけど何とかして働く人」と「どうしても働きたくない人」ね。世の中の大抵の人は前者だろう。働きたくないとは言いつつも、なんだかんだ自分の生活の一部として労働というのを組み込むことが出来る人。仕事ではストレスだったり疲労だったり色々ため込むけれど、ため込んだモノは給料だったり休日というのでしっかり消化出来て、なんだかんだ言って継続的に労働に従事できる人。現代社会で暮らす社会人の大抵はここに属すると思う。んでもう一択の「どうしても働けない人」。これも結構いる。俺自身がこの辺の境界層に属する人間ではあるので、俺の友人にはこういう人が沢山いるし、ネットとか見てても結構こういう人見るし。こういう人は可哀想だよなあ、と思う。煽りとかではなく純粋にね。だってたぶん、本質的に資本主義とかそういうのに向いていないもの。資本主義社会において「どうしても働く気が起きない」っていうのは、ある意味腕が無いとか足が無いとか、目が見えないというのと同じように重大な欠陥を抱えている。そのくせそういうのって世間的には怠け者扱いされるから(いや、実際怠け者だけどさ)、あまりいい顔はされないし。しかし俺の中は昔から「人間は生まれながらにしてその人のだいたいの性質が決まっている」っていう説がまかり通っていて、ようするに怠け者というのは生まれた時点からすでに怠け者なので、これは本人のせいではないのだ。だからただ「この時代に生きづらい性格に生まれてついてないなあ」と思う。……とまるで他人事のように書いてるけど当の俺も結構怪しい。今のところはなんとか働いているけど。

いや別にさ、俺だって「そういう働けない人を税金で扶助しろ」とか言いたい訳でもないのよ。たださ、そういう「普通に社会人出来ない人が結構な数いるよ」っていうのを皆が共有すれば、もうちっと生きやすい世の中になりそうなもんかな、と。例えばシェアハウスみたいな共同生活施設を増やすとかね。今の時代、色々その辺工面して一人当たりの生活費を極限まで圧縮すれば、月5万位の収入で何とかなりそうなものだが。そんで5万くらいだったら何とか稼げそうかなーって人は沢山いると思う。

 

まあようするに「色々な生き方が認められる世の中になればいいね」ってことを言いたいんだよね。今の時代、ともすれば「正社員は勝ち組、非正規はクソ」とか「結婚できないとか社会的にやばい」とかそういう風潮が未だ根強いと思うんだけど、そういう価値観ってちょっと一面的すぎるでしょ。社会が成熟して個々人の価値観というのが多様化している現代においてはそういう風潮は古すぎると思うし、皆もっと寛容な精神で様々な生き方を認められるといいのになあと思った次第。

 

さて、俺はというといつまでこの社畜生活に耐えられるのだろうか……

心が摩耗してロボットになるのが先か、逃げ出すのが先か……

ブログの更新には心技体が必要

このうち「技」の部分は、まあ記事のクオリティに目を瞑れば別に必要ないとして、「心」と「体」の両方が揃わなければブログの更新というのは覚束ないというのはブロガーあるあるではないだろうか。

俺の場合、このブログ自体はかなり歴史が浅いのだが、ブロガー歴はそこそこあって、はじめにブログというものを執筆したのは高校時代のことだ。まあその頃は高校の友人向けの日記のようなものだったから、現在のそれとは随分趣が違っていたものだが。そしてその当時から既にこの「心」あるいは「体」の欠如によるブログ停滞症候群というのに悩まされてきた。

分かり易いのは「体」である。これ即ち体力を指す。ブログを更新するというのは結構骨が折れるのである。とくに俺のブログのように特に内容もないのにダラダラと文字数だけ重ねる系のブログになると、一回の更新に1時間とかそれくらい使ってしまうのもざらなので、これは仕事終わりのサラリーマンには結構辛いものがある。いや、長文書くのは好きだけどね?好きじゃなきゃこんなに意味のない文章をだらだらと書きつづったりはしないさ。でもやっぱり仕事終わりに1時間の文筆作業はつらたん。さっさと寝たい系男子。

じゃあ仕事の無い休日であれば思う存分更新できるの?と言われるとそうもいかない。ここで重要になってくるのが「心」、すなわち簡単に言ってしまうとやる気であるのだ。これについては正直全く分からない。やる気スイッチが。もうブログを書き始めて7、8年は経っているのに自分のやる気がいつ入っていつ切れるのかというのがさっぱりわからないのである。これはもう、明日の日経平均と同じくらいわからない。やる気スイッチ俺のはどこにあるのだろうか。

んで、せっかく休日になって「よっしブログ更新するぞ~」ってなっても、どういう訳かやる気スイッチが入らないので、せっかくPCを立ち上げても(まあ休日は大体PCの前にいるけど)ふらふらっとネットサーフィンをしたり、ニコニコで二宮飛鳥のボイス集聞いて「ああ^~」ってなってたり、おもむろに小説家になろうを開いて「鮫島くんのおっぱい」の更新状況を確認したりしちゃう。しまいにはPS4の電源を付けてSWBF始めたりして、しばらくやっていると友人がログインしてスカイプで「せっかくだから一緒にやらね?」ってチャットが飛ばされてきて、そのまま「せっかくだから通話でもしようぜ」ってなって、気が付くともう夜12時くらいになっていたりする。いやまあ、楽しいんだから良いんだけどね。

 

そんなもんで、「心」と「体」が揃わないことにはブログは更新できない。個人的には平日は「心」はあるが「体」がなく、逆に休日は「体」はあるが「心」がない。なかなか難しい問題である。ただまあ、体感的には体力は精神力で代替できるけどその逆は不可なので、まだ平日のほうがブログ更新しやすいかな。そんな訳で平日は出来るだけ場頑張ってブログ書いていこうと思った次第。

パワプロ2016OPのあおいちゃんの可愛さは異常

ステマ


最初に買ったパワプロパワプロ94だから(実際には兄貴が持ってたやつ)、このシリーズとの付き合いも随分長いものになる。小学校の頃は99開幕版に嵌り、サクセスでオールAを作ろうとかなり奮闘していた記憶。当時のサクセスというのは難易度が異常に高く、オールAの選手なんてまず作るのが難しかった。であるからしてオールBくらいの選手を作ってすごく喜んでいた。あと99といえば冥球島ね。あれはいいモードだったよね。パワプロファンなら皆好きだったはず。あのモードは一試合経るごとにチーム全員の能力がメキメキと上がっていって、その上主人公の能力も普通のサクセスの比じゃないレベルで成長していくものだから、ワクワク感がそりゃあ凄かった。ウチら最強wwwwみたいな。でも大体はキューバに負けてゲームオーバーになるんだけどね。てかキューバのあのキャラデザって今だと国際問題なるよね。キューバじゃなくてチューバッカじゃんあれ

そんで中学時代はパワプロ11、12あたりに嵌っていたかな。当時は野球部に所属していたのでチームメンバー全員をサクセスで作っていた記憶。万年ライパチの俺がどういう訳かBEBDCくらいの能力だった。しかもアベヒついてるし。現実逃避しすぎだろ当時の俺。ところでパワプロでミート上げるの好きなヤツは陰キャラでパワー上げるの好きなヤツはリア充ってイメージがあるんだけどそこんとこどうなんですかね。統計取ってみたい。……んで、11のサクセスはサッカーのイメージしかねえな。イレブン工科大学。野球ゲーなのにサッカーのミニゲームのほうが楽しいという。んであのミニゲーム、今思うとキャプ翼のゲームのパクリでしかないのね。でも面白かったので問題ない。今のパワプロスタッフにはこういう冒険心が足りないと思うんだ。

12のサクセスは草野球チーム編が面白かったなー。河川敷球場でホームラン打ちまくるのが楽しくて仕方なかった。あと試合に勝つとレアアイテム貰えるというのもすごくワクワクしたなあ。草野球チーム編は今までの歴代サクセスで一番面白かったかもしれん。あとミゾットスポート編の瀬久椎さんも可愛かった。中学時代からああいうタイプ好きだったんだよな俺……強気で頼りがいのある系女子というか……。あと、忘れてはいけないのがパワフルアカデミー編ね。何と言ってもA組だよね。強い選手作れないとか全然関係ないですよね。だって先生があおいちゃんなんですもの。「あおい先生」……ああ、良い響きである。あおい先生に手取り足取り教えて貰えるとかアカデミー編最高すぎワロタ

 

とまあ、パワプロシリーズには子供の頃から結構楽しませてもらった。未だに初めて会った人の能力をパワプロで表してしまうという癖もあるし。ちなみに俺は自分を表すとEDBCA(エラー回避B)になる。年を取って、本当に格好いいのはミート型でもパワー型でもなく守備型だと気付いた次第である。昔は自分がダークヒーロー的立ち位置の妄想が好きだったけど今は全てを裏で司るフィクサー的立ち位置の妄想が好きなのでその辺の趣向の違いが表れたのかもしれない。ようするにパワプロ12をプレイしていたあの頃あたり発症した中二病は未だに完治していない。てかこれ不治の病。

ちなみにパワプロ2016はPS4で購入する予定。まあPS4持っているのだからそっちで買うのは当然か。ただ、ここ数年一緒にパワプロをプレイしてきた友人がまだPS4を購入していないので、PS3のほうが一緒に遊べるのかもなあ、という考えもあり、そういう訳で両方購入する可能性もある。だって一緒に遊んでこそのパワプロじゃん。大学時代はアイマスキャラでドラフトしてお互い20人くらい選んでサクサクセスで選手作って戦って遊んだりしてたからなー、今思うと相当アホなことしてた。でもあれは超楽しかった。

そんな訳でパワプロ2016が良作である事を祈りつつ寝る